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メッセージ - 大いに望みをもって主の働きをせよ(申命記25:1-4)

大いに望みをもって主の働きをせよ(申命記25:1-4)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 申命記
執筆 : 
pastor 2014-3-24 23:48

礼拝説教メッセージ音声:大いに望みをもって主の働きをせよ(申命記25:1-4):右クリックで保存

今回の箇所では、いかに罪人であっても、また、家畜に対してであっても、憐れみを施すべき事が命じられている。

『人と人との間に争い事があって、さばきを求めてきたならば、さばきびとはこれをさばいて、正しい者を正しいとし、悪い者を悪いとしなければならない。その悪い者が、むち打つべき者であるならば、さばきびとは彼を伏させ、自分の前で、その罪にしたがい、数えて彼をむち打たせなければならない。彼をむち打つには四十を越えてはならない。もしそれを越えて、それよりも多くむちを打つときは、あなたの兄弟はあなたの目の前で、はずかしめられることになるであろう。』(申命記25:1-3)
罪の刑罰として人を鞭打つ時、残酷に過ぎないようにと、命じられている。
鞭打つのは、矯正のためであり、憎むべきは、罪の行いであって、罪に支配された「兄弟姉妹」ではないからだ。

私達キリスト者は、福音の故に、時には、鞭打たれるような事もある。
パウロは、三十九の鞭を打たれた事が五度あったし、ペテロも、議会で鞭打たれた。
現代日本では、福音の故に実際に鞭打たれる事は、今のところ無いであろうが、イエス様を信じているが故に、迫害を受ける事はある。
しかし、そのような時、実は、幸いである。

『もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。』(1ペテロ2:19-21)
なぜ不当な苦しみを受ける時、幸いなのか。
なぜ、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍んでいるとするなら、それが神に喜ばれる事なのか。
それは、その時、その人はキリストに属する者である事が、神と人との前で、明らかになっているからである。
使徒たちが、御名のためにはずかしめられるに値する者とされた事を喜んだのは、そのためである。(使徒5:41)

そしてまた、天において報いは大きいからだ。
『義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』(マタイ5:10-12)

キリストは、私達もそれにならって歩むようにと、模範を示された。
『キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。』(1ペテロ2:22-25)

私達は、キリストが身代わりに打たれた鞭の故に、癒やされた。
また、ヨーロッパや、全世界の、福音が伝えられている先々においては、パウロが打たれた鞭の故に福音が広まっており、それによって多くの人々は救われ、多くの永遠のいのちが生まれた。
パウロの背中の傷跡は、人の目から見れば恥かもしれないが、彼の伝道で救われたいのち達には、救いのしるしである。
私達も、キリストにならって、それぞれの十字架を負って歩むべきである。
私達全てにとっての、救いのしるしは、イエスキリストの十字架の傷跡である。

『脱穀をする牛にくつこを掛けてはならない。』(申命記25:4)
「くつこ(口籠)」とは、食べ物を食べられないようにするために口を拘束する道具であるが、働いている牛には、その働き場から食を得る事を禁じてはならない、と、命じている。

パウロは、働き人は当然、報いを受けるべき事を、この箇所で示している。
『すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」と書いてある。神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。』(1コリント9:9-11)

御言葉の奉仕に専念する人が、それによって生活の資を得て良い事は、旧約聖書からも明らかである。
神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかれるし、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るように指示された、と、書かれてある。(1コリント9:13-14)

しかしパウロは、その当然たる権利を、敢えて、用いなかった。
むしろ彼は、なんと、「福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたしが宣教者として持つ権利を利用しないこと」が、彼の受けている報酬だと言っている。(1コリント9:18)
なぜ、無代価で福音を伝える事が、そして、宣教者として持つ権利を利用しない事が「報酬」になるのか。
それは、パウロは、地上での廃れていく金銀や栄誉よりも、天に積み上がっている、永遠にすたれる事の無い栄光と富のほうに、遥かな価値がある事を知っていたからである。

天では、確かに積み上がって行く宝がある。
それは前述した通り、この地上において、福音の故に不当な苦しみを受ける時、善を行って苦しみを受け耐え忍んでいる時、無報酬で福音のために働く時、天では、その人がやがて受けるべき宝が、どんどん積み上がっているのである。
貧しい人のために働く時、その報酬を地上で望みえない時、その人たちはお返しができないので、幸いである。
なぜなら、義人の復活の時に、お返しを受けるからだ。(ルカ14:14)
だから私達も、パウロのように、望みをもって、福音のために働くべきである。

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