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メッセージ - キリスト無き知識は悲しみの集大成(伝道者の書1:12-18)

キリスト無き知識は悲しみの集大成(伝道者の書1:12-18)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 伝道者の書
執筆 : 
pastor 2014-3-29 15:32

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
キリスト無き知識は悲しみの集大成(伝道者の書1:12-18):右クリックで保存

【概要】

伝道者の書1章12-18節を通して、この世の知恵の限界と、御霊によって与えられる真の知恵について学びます。ソロモンがこの世の知恵を極めても虚しさに行き着いたように、人間の知恵では神を知ることはできず、ただイエス・キリストを見つめることによってのみ、永遠の命と真の希望が与えられることを知ります。

【聖書箇所】

  • 伝道者1:12-18

  • ヨハネ3:5-8

  • 第1コリント2:6-16

  • マタイ11:11

【戒めの言葉】

この世の知恵、人間の知識だけを追い求めることは、霊的には虚しく、益を生み出しません。死んでいくこの世のありさまをいくら観察しても、そこに救いはありません。

【勧めの言葉】

イエス・キリストを一心に見つめ、離れずにいてください。御霊によって生まれ、御霊によって導かれる者となってください。天の御国に属する最も小さな者でも、バプテスマのヨハネより偉大なのです。

【励ましの言葉】

あなたがたがキリストにあって天の御国に属する者となったなら、どんなにIQが低くても、ソロモンより偉大なのです。神が愛する者のために備えてくださったものは、目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのない素晴らしいものです。

【***AIによる文字起こし***】

今日、恵みをいただく御言葉は、伝道者の書1章12節から18節までです。

「伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。私は、天の下で行われる一切のことについて、知恵を用いて一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えた辛い仕事だ。私は、日の下で行われたすべてのことについて、知恵を用いて一心に尋ね、探り出そうとした。なんと全てが虚しいことよ。風を追うようなものだ。曲がっているものをまっすぐにはできない。なくなっているものを数えることはできない。私は自分の心にこう語っていった。今や私は私よりも先にエルサレムにいた誰よりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。私は一心に知恵と知識を狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。実に知恵が多くなれば悩みも多くなり知識を増す者は悲しみを増す。」

この伝道者の書は、ソロモンが書いたと言われており、事実そうだと論理的には導き出せます。なぜ論理的にそう導き出せるかというと、12節のところに「伝道者である私はエルサレムでイスラエルの王であった」とあります。要するにこれを書いたのは、イスラエルの王であった者ということで、かなり絞り込まれますね。

そして16節の方に「私は自分の心にこう語っていった。今や私は、私より先にエルサレムにいた誰よりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た」とあります。イスラエルの王であり、なおかつ先にエルサレムにいた誰よりも知恵を増し加えた者、とすれば、聖書の他の箇所のみでは、ソロモン以外の何者でもありません。

ソロモンに、世の誰よりも、先に生まれた者よりも、後に来る者よりも、誰よりも知恵を与える、そのように主が約束されました。ですから、ここはソロモンが書いたとしか言いようがないのですが、しかし、これをソロモンが書いたものでないとする人たちがいます。それは何でそういうことを言うかというと、この16節の言葉を嘘を言って、誇張表現して、私は先にエルサレムにいた誰よりも知恵を増し加えたと自称している者がこれを書いたのだと、そういうふうに言うのです。

これを聞くとき、人はちょっと心に雑念を覚えます。なんか、汚れを受けたかのような、ちょっとそわそわしたような心を受けます。なぜなら、そのように言う人のその言葉は聖書の権威を、神様がエバを欺いたように、神様の純粋な御言葉に混ぜ物を加えるからです。私たちはそのような時ですね、聖書の御言葉に、ここにはこう書いてあるけどどうなのという、そういうですね、心をかき乱されるような雑念が混じった時、聖書は聖書ですと、神の言葉です。その神の言葉に混ぜ物をするあなたは何者ですかと、そういうふうにですね、神様の御言葉を盾にとって、神様の砦の岩の中に留まればいいんです。そうしたら相手はですね、砂の上に建てられた城のように、すぐにぐらついてしまいます。

さて、ここの言葉、ソロモンは、この天の下で行われる一切のことについて、知恵を一心に尋ね探り出そうとした、この世の有様をですねよく観察してよく調べてよく論理的にいろいろなことを導き出す、そういう事業をソロモンはしたんですけども、でもその結果彼が得たのは「これは人の子らが労苦するようにと神が与えた辛い仕事だ」って13節に言ってます。

また14節でこう言ってます。行われることを探り求めたところ、それはもうただ労苦だ、それは辛い仕事だ、そういうふうにですね。聖書の他の、伝道者の書以外のところ、この伝道者の書だけです、この虚しいという言葉が何回も何回も言われているのは。それ以外の書、特に新約聖書の方では、本当に希望に満ちた、虚しさの逆が満ち満ちているんですけども、その方はなぜここに行き着いたか。それは彼がですね、要するにこの書物を書いた人が、神様を恐れない、神様を信じないから、そして御霊によってわきまえることができていなかったからです。

この14節の後半のところに「全てが虚しいことよ、風を追うようなものだ」と書いてあります。ここですね、風という言葉、これはルアハという言葉、要するに神の霊、神の息吹、霊と訳すことができる言葉で、キングジェームズバージョンではですね、この「全てが虚しいこと、風を追うようなものだ」、これはこういうふうに書いてあります。「全ては空虚で苛立たしい風だ」、あるいは「全ては空虚で苛立たしい霊だ」、そういうふうに書いてあります。

神様抜きで、キリスト抜きでこの世のありさまを観察するとき、それは確かにこのソロモンの行き着く先に至ります。それは当然の結果です。だってこの世のもの、この世のありさまは過ぎ去るものであり、もう人間のアダムとエバの堕落によって、もう全てが滅びに向かっているからですね、呪われてしまっているからです。

皆さんは死体って見たことありますか。人間の死体でも動物の死体でも。それはやがて腐っていくものですね。この世の有様は人間が善悪を受け入れるその罪の行いの結果、死体となってしまったようなものです。この世の有様は過ぎ去る。罪は全てを滅ぼす。ですからこの世はもう癌にかかった、もう末期的症状な、癌のような、あるいはもう死体のように腐っていく、ただそれだけのものです。

皆さんは死体の博士になって何の益があるでしょうね。いらないですね。ソロモンはその死体の博士になったようなものなんです。死体をじっと見て、やがて腐っていく。外で死んだ場合は何日以内にウジが湧くとかですね、匂いはこれこれ、火で死んだ人はこれこれの匂い、水で死んだ人はこれこれの匂いとか、ソロモンはそういうことを研究していたようなものです。それは虚しくなりますよね。

それはこれをじっと見て、これは人間の子らが労苦するように神が与えた辛い仕事だ。いや、そうじゃありません。神様が与えられた仕事は、そんな世のありさまを観察することじゃないんです。神様が与えられた仕事は、ただイエス・キリストという命の主を一心に見つめて、これから離れないこと。

イエス様はおっしゃいました。人々はこういうふうに質問したんです。「主よ、私が神の業を行うためには何をしたらいいでしょうか」。イエス様が答えられたのは、「神が遣わされたお方を信じること。それが神の業です」。

ですから、人は何か世のありさまを観察して、それに対抗する手段を得て、そういったことによって救いを得ることはできないんです。イエス様はただ熱心にイエスを一心に見つめること、これによってのみ皆さんは救いを得られるんです。

だから、このソロモンのようにですね、この世のありさま、滅んでいく人間、人間の愚かさ、狂気、人間にはこれこれの罪のタイプがあるとか、カインの罪を犯す者とか、盗みを働く者、人を殺す者、それぞれをですね、じっくりと観察していても、このソロモンのようになっていくばかり、全ては虚しくなるばかりです。むしろ、救いが見えなくなってしまうんです。私たちが一心に尋ね求めるべきは、イエス・キリスト、ただこのお方だけです。するならば、この「全てが虚しい」という、このスパイラルから脱却することができます。

ソロモンは15節で言ってますね。「曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることができない」と。それはキリスト抜きで何かやろうとすればそうです。いくらIQが何百何千ある人であったとしても、曲がってしまっている自分自身の罪、それをいくら正そうとしてもできなかったことをこの伝道者の人は証明していますね。全ての知恵知識を得ても、結局神様を知らない人の行き着く先がここに至ってしまうんです。

イエス様の方法は、曲がっているもの、無くなっているもの、罪深いこの体を死に明け渡すこと。十字架です。まず十字架につけて死と復活を得させてですね、その後にこそ私たちは新しく命の道を歩むことができるようになるわけです。

ソロモンは続いて、16節以降、「私は自分の心に、今や私は私より先にエルサレムにいた誰よりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。私は一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした」。

18節「実に知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」。ソロモンは知恵を追求しました。知識を追求しました。その結果、彼は「実に知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」と、その結論に行き当たりました。

ソロモンは何度も「風を追うようなものだ」とか、そういうことを17節でも言ってますね。14節の方でも言ってます。「それもまた風を追うようなものであることを知った」。風、それは主の息吹です。主の霊はどこに行くか人は知らないです。ニコデモというイスラエルの教師が夜、イエス様のところに訪ねていって、それでイエス様は教えました。「誠に誠にあなたに告げます。人は新しく生まれなければ神の国を見ることができません」と。

ニコデモはそれ、ん?って。どうして人は老年になってお母さんの中に戻ることができようか。イエス様は言うんです。「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません」。

ですから水と御霊によって、水、まずバプテスマですね、死です。水、世の中ひとたび死を経ました。洪水によって全ての者は死に絶えて、そしてそこから新しくされました。ですから人はまず水によって、要するに死ですね、一旦全てをおじゃんにする。ソロモンは曲がったものはまっすぐにすることはできないと言いました。エレミヤもそう言いました。人の心は何よりも陰険で、癒しがたい。だから癒しがたい何かをやりくりして癒そうとしても、結局ソロモンのように癒せないと行き着くんですね。

イエス様の方法は全く違います。死です。まず死を経させること、そして復活させること。だからイエス様は「水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃったんです。

それをさらにどうしてそんなことがあり得るでしょうか、不思議だったんですね。イエス様は、ヨハネの3章のところでそのやりとりがあるんですけども、ヨハネ3章5節からのところですね。

ヨハネ3:5-8「イエス様は答えられた。まことに、まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれたものは肉です。御霊によって生まれたものは霊です。あなた方は新しく生まれなければならないと私が言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くか知りません。御霊によって生まれた者もみな、そのとおりです」。

御霊によって生まれることができる人というのはイエス様を信じる人です。

もう一箇所ですね。第1コリント2章を開きます。ソロモンはこの世の知恵によって神様を知ろうと何もかも悟ろうとしました。でも結局「全ては虚しい」と、無だとそこに行き当たりました。ソロモンだけでなく仏教もそういう思想ですね。悟りを得ようとね。でも結局行き着くところは無なんですね。何もないんです。

第1コリント2章6節からのところをお読みします。

第1コリント2:6-9「しかし私たちは成人の間で知恵を語ります。この知恵はこの世の知恵でもなく、この世の過ぎ去っていく支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは隠された奥義としての神の知恵であって、それは神が私たちの栄光のために世界の始まる前からあらかじめ定められたものです。この知恵をこの世の支配者たちは誰一人として悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。まさしく聖書に書いてある通りです。目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの、神を愛する者のために神の備えてくださったものは皆そうである」。

キリスト教会の中においてもですね、この世の知恵を用いて神の言葉を解き明かそうとする人がおります。伝道者の書、これはソロモンが書いたと言われているけれども、実はソロモンを自称する者が書いたのだとか、何もかもですね、善悪判断で食ってかかるのがこの世の知恵です。人間の知恵です。でも、キリストのことはこの世の知恵で測ることはできません。

「この知恵はこの世の知恵でもなく、この世の過ぎ去っていく支配者たちの知恵でもありません」。ソロモンは過ぎ去っていく支配者の知恵で何かを解き明かそうとしました。でも結局、虚しさに行き着いた。

そして「私たちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって」、この世の知恵ではないです。隠された奥義としての神の知恵、それをですね、私たちキリスト者は得るんです。そしてそれはどんなものか。「それは神が私たちの栄光のために世界の始まる前からあらかじめ定められたものです」。世界の始まる前から私たちのためにあらかじめ定められた素晴らしい知恵ですね。

そしてこの知恵はこの世の支配者たちは誰一人として悟りませんでした。あのIQがいくつだったか知らないソロモンでさえ、誰一人としてこの知恵を悟ることはできないんです。まさしく「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの」、それが私たちに備えられている知恵です。神を愛する者のために神の備えてくださったものは皆、この世の知恵が目で見たことのない、耳で聞いたことのない、心に思い浮かんだことのないようなタイプの素晴らしい知恵です。素晴らしいもの、それが私たちに備えられているものです。

10節以降、第1コリント2:10-12「神はこれを御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊は全てのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。一体人の心のことは、その人のうちにある霊の他に誰が知っているでしょう。同じように、神の御心のことは、神の御霊の他には誰も知りません。ところで、私たちはこの世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを私たちが知るためです」。

御霊のことは、御霊によってわきまえるものです。世の知恵、人間の心、そうしたものによっては、それを知ることはできません。人の心のことは、その人のうちにある霊しかわかりません。それと同じように、神様のことは、神の御霊の他には誰も知りませんと書いてあります。この通りです。

13節「この賜物について話すには、人の知恵に教えられた言葉を用いず、御霊に教えられた言葉を用います。その御霊の言葉によって、御霊のことを説くのです」。

ですから御霊の言葉、御霊の剣、これを解き明かすことには、この世の知恵であり、解き明かしても、これは何々が書いたと思われている、しかし、これは実は、あの人が書いたのだ、この人が書いたのだと、何の根拠があるのか、人の知恵を根拠にして、御言葉の根拠がなしのことをですね、持って、もう空虚な論争、あのソロモンが陥った、風を追うようなものだ、本当に御霊は風、本当にヘブライ語は面白いですね、風を追うようなものだ、そういうふうに行き当たってしまうんです。ですから、人間の論争、何々論対何々論、これは風を追うようなものです。虚しいんです。しかし、御霊のことは、御霊によってわきまえるものです。

14節「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは、彼らには愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは、御霊によってわきまえるものだからです」。

15-16節「御霊を受けている人は全てのことをわきまえますが、自分は誰によってもわきまえられません。一体誰が主の御心を知り、主を導くことができたか。ところが私たちにはキリストの心があるのです」。

もう書いてありました。神の御霊に属すること、肉にあって生まれている人は神の御霊に属することを受け入れはないです。どんなに知恵を働かせても、どんなに論理を駆使しても、生まれながらの人間、魂の人、肉の人間は神の御霊に属することを受け入れられないです。聖書に書いてあることは、世の人が見れば愚かさで満ちております。何、処女から生まれた?死人がよみがえる?永遠の命?愚かに聞こえるんですけども、しかし御霊にあって生まれた私はこれがとても希望ですね。とてつもない希望です。素晴らしいことです。

しかし肉にある人はそれを悟れないんです。ソロモンのような人がいくら知恵を駆使しても、それはもう処女から人は生まれない。はい、論破した。そういうふうになっちゃうんですけれども、でも御霊にある人は御霊によってそれをわきまえ受け入れ、この私たちのような罪に穢れた者でもキリストという真の命、真の種、神の言葉が入ったのであれば永遠の命をいただくことができる。これが持てます。これが私たちにとっての希望です。

そして御霊の人は全てのことをわきまえます。ですからですね、御霊にある人、御霊にあるIQ60の人、イエス・キリストは、御霊にない、IQ何千のソロモンよりも勝るんです。だってイエス様、おっしゃってますね。人間の中で誰が最も偉大か。

ソロモンじゃないんですね。ソロモンは全然偉大じゃないんですね。人間の中で最も偉大なのは、バプテスマのヨハネだとイエス様はおっしゃいました。だってイエス様を、人々をイエス様へと導いたからですね。結局人間にできることは、知恵、力ではないんです。イエス・キリストへと導くものこそ、何よりも勝る人にとっての最大なものですけれども、しかしイエス様はおっしゃいました。バプテスマのヨハネよりも、神の国の人は、バプテスマのヨハネより偉大だと。

マタイの11章にあるですね、それは。マタイ11:11「まことに、あなた方に告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより優れた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です」。

イエス・キリストにあって、天の御国に属する者となった皆さんは、バプテスマのヨハネより偉大なんです。皆さんのIQはいくつですか?60、70ぐらい?100ぐらい?それは分かりませんね。でも、皆さんのIQがいくら、たとえ60であったとしても、あのソロモンより偉大なんですよ。天の御国においては。天の御国からすれば、神様の視点から見れば、あのソロモン、IQが何であったか分からないソロモンよりも、ここにいるイエス・キリストにある皆さん一人一人、天の御国に属するどんな一番小さなものでも、あのバプテスマのヨハネより偉大なんです。

皆さんその自覚を持ってください。ますますですから、御霊の人になるべきです。この世の知恵、この世の追求心、それを持ちましてもですね、霊的には何の益も生み出しません。でも、皆さんがもしキリストを見つめて離さず、一心にですね、キリストから離れないのであるならば、皆さんの方があのバプテスマのヨハネよりも、ソロモンよりも偉大なものなんです。

どうか皆さん、この価値観に立ってください。この世の何かを追求することは霊的に無意味です。でも、キリストを一心に見つめて離さずに、ますますキリストの御霊にあって導かれていくのであるならば、皆さんの方がですね、あのバプテスマのヨハネよりも偉大になる価値があるものとなるんです。

私たちに備えられている恵みは何と素晴らしいものでしょうか。目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの、それが私たちに備えられているもの、この素晴らしい恵み祝福を感謝いたします。

どうか私たちはこの世の知恵に従っているものでなく、この世の何かを見つめるのではなく、この世の有様は腐っていく死体のよう、死体博士になっても何の益もありません。キリスト博士になる私たちでありますように。キリストをじっと見て、キリストを調べ、キリストをよく味わい、キリストに触れ、キリストを喜び楽しみ、その中において交わるものとしましょう。ますますキリストの似姿へと作り変えられ、この世の過ぎ去る有様は一切十字架の向こう側へと追いやって、私たちはキリストの側、キリストの永遠の命の側に立って幸いと祝福を得ていく、私たち一同でありますように。

【結論】

この世の知恵をいくら極めても、それは虚しく、風を追うようなものです。ソロモンが全ての知恵と知識を得ても行き着いたのは「知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」という結論でした。しかし、神は御霊によって、目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのない素晴らしいものを私たちのために備えてくださいました。御霊によって生まれ、イエス・キリストを一心に見つめて離れない者は、たとえIQが低くても、天の御国において最も偉大な者とされます。この世の有様を観察する死体博士ではなく、キリストを見つめ、キリストを知るキリスト博士となり、御霊によって導かれ、ますますキリストの似姿へと変えられていきましょう。

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