メッセージ - 主の宝の民(申命記26:16-19)
礼拝説教メッセージ音声:主の宝の民(申命記26:16-19):右クリックで保存
申命記5章から26章までの所では、主が与えられた十戒や律法の再確認的なメッセージが続いていたが、いよいよ、それらの結論的なメッセージに入る。
『きょう、あなたの神、主はこれらの定めと、おきてとを行うことをあなたに命じられる。それゆえ、あなたは心をつくし、精神をつくしてそれを守り行わなければならない。』(申命記26:16)
主は私達に「心をつくし、精神をつくす」姿勢を、すなわち、主を愛し主に敬意をもって御言葉を守り行おうとする心をこそ、求めておられる。
それはちょうど、いかに出来が良くても親を敬わない子よりは、多少出来が悪くても、親を愛し敬う心で両親に聞こうとする子供のほうがかわいいのと同じである。
イスラエルの民は、モーセから示されていた主の教えを、守り、御声に聞き従うと明言した。(申命記26:17)
そして主は、これらの命令を守り行うなら、彼らをご自身の「宝の民」とされると約束された。(同18節)
宝。それは、適当に扱われるようなものではなく丁重に扱うものであり、放っておかれるものではなくいつも気にかけられ、時に取り出しては、眺められ、楽しまれるものである。
私達が、主への愛と敬意をもって、心と思いと力を尽くして御言葉を守り行うなら、ますます主との関係が豊かになり、必要の満たしを主から充分受ける事が出来、主に喜ばれる実を豊かに結ぶようになっていく。
『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。』(ヨハネ15:7-10)
主との愛の関係がますます深まると、主に何のわだかまりも無く求める事が出来、そしてそれらが与えられる。
このような、主の「宝の民」としての「特典」を享受するための条件が、本日の箇所に、まさに記されている。
すなわち、私達が心をつくし、精神を尽くして主を愛し、敬い、その御言葉に聞き従い、守り行う事。
そうするなら、主は私達をご自分の宝の民とされ、私達に誉と良き名と栄えとを与えて下さり、すべての国民にまさるものとして下さり、主の聖なる民として下さるのだ。
『主は誉と良き名と栄えとをあなたに与えて、主の造られたすべての国民にまさるものとされるであろう。あなたは主が言われたように、あなたの神、主の聖なる民となるであろう」。』(申命記26:19)