メッセージ - 主の交わりから離れてはならない 礼拝説教メッセージ音声
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使徒信条に出てくる人物、ポンテオ・ピラトはローマの総督である。
彼はイエス様を死刑にする権限も救う権限も持っていた。
元々彼はイエス様を救い出したかったが、最終的には十字架につけてしまった。
なぜなら、場の空気に負けたからである。
私達の中にも、ポンテオ・ピラトがいる。
世の中に出て、イエス様を忌み嫌っている人達の場の中に放り出されたら、その場の空気に負けて「私もイエス様を知りません」と言ってしまう弱さがある。
使徒信条を告白する時「ポンテオ・ピラト」の名前を言うときには、私達の中にもポンテオ・ピラトがいる事を覚えつつ告白したい。
もう一人、その場の空気に負けて、イエス様を「知らない」と言った者がペテロである。
彼は「あなたを知らないとは死んでも言わない」と力を込めて約束したが、しかし残念ながら彼は「イエスなんて知らない」と力を込めて3回、しかも3回目には呪いをかけて誓ってしまう。
イエス様に「今日、鶏が2度鳴くまでに3度わたしを知らないと言う」と予め言われていたため、彼が鶏が2度鳴くのを聞いた時、大泣きに泣き、自分のふがいなさを嘆き、弱さを悲しんだ。
人間の言葉による約束や人間の愛は弱く、いくら自ら奮い立たせ力を込めて約束したところで、守り切る事ができない。
その証拠に、同じ女性/男性を、50年も60年も愛し続ける者は実に少ない。
聖霊によって強められなくては、イエス様の言葉は守り切るものではない。
聖霊によって強められれば、力を奮い立たせるまでもなくイエス様を力強く証しする言葉が泉のように湧き出てくる。
群集は「十字架から降りれば私達は信じる」と言ったが、もし万一イエス様がそんな事したら、一体誰が人類の罪の身代わりとなる事ができるだろう。
イエス様は十字架につけられた時「父よ彼らをお赦し下さい」と言って取成しをされた。
イエス様が私達の弱さを取り成して下さったから、また、罪の身代わりとなって死んで下さったから、私達は弱さ・罪深さから救われたのである。
そのイエス様を信じる事によって、私達は聖霊に満たされる。
その後、ペテロは再び、イエスの故に大勢の群集の前に引き出される。
鶏が鳴いた時よりもはるかに大勢の権威ある人達に囲まれていたにもかかわらず、ペテロは誰もが驚くほど、また、言葉を返せないほど、大胆にイエス様を告白した。
聖霊に満たされていたからである。
聖霊に満たされるには、どうしたら良いのか。
それは、イエス様の名のある聖徒の交わりから離れない事である。
ペテロは呪いをかけてイエス様を知らないと誓ったが、それでも主の交わりに戻って生き恥を晒した。
イスカリオテ・ユダはイエス様を銀30枚で売り渡し、後に後悔して銀30枚を神殿に投げ入れ、死んでお詫びした。
人間的に見れば、ユダのほうが立派に見えるが、主の前には逆である。
たとえどんなにみじめでも、生き恥を晒しても、主の交わりから離れてはならない。
ユダは絶望し、もう赦されないと勘違いしたが、主の前には赦されない罪は無い。
どんなに惨めになっても、主の交わりから離れてはならないのである。
主の御名から離れなければ、主はやがて助け主である聖霊を与えてくださり、人間には出来なかった主の告白が堂々と出来るようになり、大胆にイエスキリストを告白し、大いなるわざをする事が出来るようになるのである。
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