メッセージ - 愚かさを敢えて身につける愚かさ(伝道者の書2:1-11)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
愚かさを敢えて身につける愚かさ(伝道者の書2:1-11):右クリックで保存
【概要】
今日のメッセージは、伝道者の書2章1節から11節を通して、快楽の虚しさと神に従うことの重要性について考えます。
【聖書箇所】
伝道者の書2章1節から11節
【戒めの言葉】
快楽を追求することは虚しいものであり、神から離れることは愚かさに繋がります。
【勧めの言葉】
神を主とし、神の導きに従うことで、永遠の喜びと平安を得ることができます。
【***詳細***】
伝道者の書2章1節から11節には、ソロモンが快楽を追求した結果、すべてが虚しいと感じたことが記されています。彼は心の中で「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」と考えましたが、結局それも虚しいことだと悟りました。ソロモンは知恵によって導かれていたにもかかわらず、葡萄酒で体を元気づけ、愚かさを身につけようとしました。
彼は事業を拡張し、邸宅を建て、葡萄畑を設け、庭と園を作り、あらゆる快楽を追求しました。しかし、彼が手に入れたものは虚しさだけでした。ソロモンは「私の目の欲するものは何でも拒まず、心の赴くままにあらゆる楽しみをした」と言っていますが、最終的には「すべてが虚しいことよ。風を追うようなものだ。」と結論づけています。
この箇所から学べることは、神から離れた快楽の追求は虚しいものであり、最終的には何も残らないということです。ソロモンは知恵を持ちながらも、愚かさを選び、快楽に溺れました。その結果、彼は虚しさを感じ、神の前に戻ることの重要性を悟りました。
詩編16編11節には「あなたは私に命の道を知らせてください。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には楽しみが常しえにあります。」とあります。神の御前には永遠の喜びと楽しみがあります。世の快楽は一時的であり、神の与える喜びとは比べ物になりません。
私たちは、ソロモンのように愚かさを選ぶのではなく、ダビデのように神を主とし、神の導きに従うべきです。ダビデは「私はいつも私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私は揺るぐことがない。」と告白しています。神を前に置くことで、私たちは揺るぐことなく、永遠の喜びを得ることができます。
【結論】
快楽を追求することは虚しいものであり、神から離れることは愚かさに繋がります。私たちは神を主とし、神の導きに従うことで、永遠の喜びと平安を得ることができます。ソロモンのように愚かさに溺れることなく、ダビデのように神を前に置き、神の道を歩むことを選びましょう。