メッセージ - 祝福の明細(申命記28:7-14)
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主の御言葉に聞き従い、守り行ったなら、どんな祝福があるのか。今回の箇所には、その明細が記されている。
『敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去るであろう。』(申命記28:7)
まずは、勝利の祝福である。この勝利の約束は、聖書の他の至る所にある。
『もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、・・・あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。』(レビ記26:3-8)
実際聖書は、少数主に忠実な信仰の精鋭たちが、強大な敵に立ち向かい、大勝利した記録が多い。(創世記14章、民数記31章、士師記7章、1サムエル14章、2歴代誌20章、他多数)
主の御心に反している軍がいかに強大であろうと、主の御心に適っている軍がいかに弱小に見えようとも、両者が戦うとしたら、必ず後者が勝つ。
主の民にとって、戦いは、人数や知恵、力よりも、御言葉に聞き、守り行っているかどうかが遥かに大事なのだ。
また主は、主の民の周りの被造物に対し祝福を「命じ」られる。
『主は”命じて”祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだし、あなたの神、主が賜わる地であなたを祝福されるであろう。』(申命記28:8)
『「七年目に種をまくことができず、また産物を集めることができないならば、わたしたちは何を食べようか」とあなたがたは言うのか。わたしは”命じて”六年目に、あなたがたに祝福をくだし、三か年分の産物を実らせるであろう。あなたがたは八年目に種をまく時には、なお古い産物を食べているであろう。九年目にその産物のできるまで、あなたがたは古いものを食べることができるであろう。』(レビ記25:20-22)
主は「光よあれ」と命じられて光を創造し、光だけでなく、御口から出る言葉によって全てのものを創造し、完成されたお方である。
だから私達は、主の命令に従って歩むなら、この全被造物の中を歩む全行程において、全てが追い風、全てが順風満帆となる。しかし、主の命令に逆らうなら、この被造物世界において、全てが向かい風、波乱万丈、四面楚歌、踏んだりけったりなのである。
『もし、あなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むならば、主は誓われたようにあなたを立てて、その聖なる民とされるであろう。そうすれば地のすべての民は皆あなたが主の名をもって唱えられるのを見てあなたを恐れるであろう。』(申命記28:9-10)
私達が主の御言葉を守り行うなら、主の名が記された民として、全ての人々に知られる。
自分の所有物に、自分の名を記したなら、他人はおいそれと手出し出来ないし、それを盗んだり破損したりするなら、賠償請求したり訴えたり堂々と出来て当然である。
だから、主の名が記された私達に、もしサタンが勝手に病や貧しさ、災いなどを振りかけるのは、不当であり、主イエスの御名によって堂々と訴え、賠償請求できるのは当然だ。
主イエスの名によって、主の名がつけられている私達に、病や貧しさ、災いなどは、相応しくない。なぜなら主は完全で健やかな方であり、富んでおられ、祝福の源であられるお方だからだ。
私達が主の御言葉に留まるなら、主の名を用いて、欲しいものはなんでも求める事が出来るのである。(ヨハネ15:7)
『主があなたに与えると先祖に誓われた地で、主は良い物、すなわちあなたの身から生れる者、家畜の産むもの、地に産する物を豊かにされるであろう。主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。』(申命記28:11-12)
既に何度も言われている通り、主に聞き従い、命令を守り行うなら、いのちも、大地の実りも、豊かに祝福され、それも、春の収穫物の脱穀が秋まで続き、秋の収穫物の取り入れが、穀物の種まきの時期まで、ずっと続く程の収穫で満たされ、穀物倉が空になる事はあり得ず、新しい収穫物が入る頃には、倉庫に余った古い収穫物は捨てるほどまでの祝福である。
『もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。・・・あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。』(レビ記26:3-10)
そういう訳で、主の御言葉に聞き従い、それを守り行う事は、まさしく「至れり尽くせり」「良いことづくし」である。
『主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。きょう、わたしが命じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲り、他の神々に従い、それに仕えてはならない。』(申命記28:13-14)
主を軽んじ、主の御声に聞き従わず、主の命令を守り行わないなら、「至れり尽くせり」の逆、ふんだり蹴ったりの呪いが下る。それは次回以降、詳細に見て行きたい。
どうして私達は、主の御言葉に聞き従わないような、主の命令を守り行わないような「愚か」を、「損」を、演じ続けられようか。