メッセージ - 皮膚病、錯乱、負け続け、奪われ続ける呪い(申命記28:25-35)
礼拝説教メッセージ音声:皮膚病、錯乱、負け続け、奪われ続ける呪い(申命記28:25-35):右クリックで保存
御胸に逆らって歩む者、すなわち、御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない者の受けるべき「のろい」は、実に惨憺たるものばかりだった。
しかし、それらを受けても、なお自分の道を曲げず、主に立ち返らない人に対するのろいは、まだまだ続く。
『主はあなたを敵の前で敗れさせられるであろう。あなたは一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去るであろう。そしてあなたは地のもろもろの国に恐るべき見せしめとなるであろう。またあなたの死体は空のもろもろの鳥と、地の獣とのえじきとなり、しかもそれを追い払う者はないであろう。』(申命記28:25)
これは7節「彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去る」の、真逆である。
主の御言葉に逆らう人は、敵に勝つ事は出来ない。
それも、「一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去る」と、実に”派手”な負けっぷりをし、その死体はさらされ、野の獣や猛禽類についばまれてしまう。
列王記や歴代誌を見ると、実際にイスラエルの歴史で、この事は何度もあった事が分かる。
『主はエジプトの腫物と潰瘍と壊血病とひぜんとをもってあなたを撃たれ、あなたはいやされることはないであろう。』(申命記28:27)
主が病で体を打つ時、皮膚に疾患を現す事が、多い。
その人の外見や皮膚にありありと現れる症状を、人が見る時、この人はやはり、その強情を捨てなかった報いを、主から受けたのだな、と、分かるのである。
実際、ミリヤムやウジヤ王は、主が立てた権威や指導者に逆らった時に、すぐにツァラアト(らい病)が現れ、それを見た人達にとって戒めとなった。
もちろん、これらの症状が出た人イコール御言葉に反した人とは限らないが、御言葉を軽んじ、主に逆らい続ける人には、100%、何かしらののろいの兆候が現れる事は間違いない。
そういう人は、外見的な疾患だけでなく、心の疾患にも侵される。
『また主はあなたを撃って気を狂わせ、目を見えなくし、心を混乱させられるであろう。あなたは盲人が暗やみに手探りするように、真昼にも手探りするであろう。』(申命記28:28-29)
彼らは、真理に対して目が見えなくなるため、本質を外した歩みに陥り、何をしても、とんちんかんであり、常に何かに怯えている。
サウル王は、頑なな道を改めなかったため、主からの悪い霊にいつも怯え、狂ったような行いをした。
御声に聞き従わず、御言葉を守り行わない者は、いかに物持ちであったとしても、ただただ人にかすめ奪われるのみである。
具体的には、自分の愛する異性や伴侶が奪われ、自分の住まいが奪われ、仕事場が奪われ、また、働いて蓄えた資産が奪われ、そして、自分の愛する息子や娘が、目の前でどんどん他人に奪われていくのに、それをただ見ているだけで、どうする事もできず、ついには、それらを慕い求めて狂うまでになる、と書かれてある。(申命記28:29-34)
『主はあなたのひざと、はぎとに悪い、いやし得ない腫物を生じさせて、足の裏から頭の頂にまで及ぼされるであろう。』(申命記28:35)
足の先から頭のてっぺんまで、癒しがたい腫物のために、特に、膝や脚が打たれるのだ。
もし、これらの疾患や災いが続き、栄える事なく、負け続け、ただ奪われているサイクルに陥っているなら、今一度、御言葉に照らし合わせ、御声に聞き従わない所が無かったか、御言葉を守り行わなかった所は無かったか、自分自身を省みるべきである。
主日の礼拝や、主への捧げ物、聖徒の交わりを、軽視していなかったか。
主を敬うと言いつつも、周囲に妥協し、偶像や占いの類を自分の所に持ち込んでいないか。
父や母を軽んじていないか。憎んでいないか。
性的な罪なや、盗む事、うそをつく事などが、日常的になっていないか。
兄弟姉妹を赦さず、執拗に憎しみを握りしめていなかったか。
あるいは、かつて主から「この道を行け」と示されていたのに、それを嫌がって、自分のしたい道に歩んだままではなかったか。
自分は祝福と呪いのどちらを受けているか、という問がある時、呪いのほうを受けている、と思い当たる人は、今一度、御言葉に照らすべきである。
主に対する姿勢が正しいか、御心にかなった道を正しく歩んでいるかをチェックし、思い当たる御言葉が示されたなら、すぐにでも、主の怒りを引き起こすものを捨て去り、道を改めるアクションを起こすべきである。