メッセージ - 善悪の目を凝らして見る事ののろい(伝道者の書2:12-17)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
善悪の目を凝らして見る事ののろい(伝道者の書2:12-17):右クリックで保存
【概要】
今日のメッセージは、伝道者の書2章12節から17節を通して、知恵と愚かさ、そして人生の虚しさについて考察します。ソロモンが感じた虚しさを通して、私たちがどのように永遠の視点を持つべきかを探ります。
【聖書箇所】
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伝道者の書2章12節から17節
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創世記3章4節から7節
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黙示録20章11節から15節
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第2コリント5章7節から10節
【慰めの言葉】
イエス・キリストを信じる者は、その行いも地上でのことも決して虚しくなることはありません。
【励ましの言葉】
私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩むべきです。
【戒めの言葉】
目で見ること、じっと見ること、それは諸悪の根源であることを覚えてください。
【勧めの言葉】
信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないでください。
【悔い改めの促しの言葉】
この世の虚しさに陥ることなく、永遠の視点を持ち続けましょう。
【***詳細***】
今日の箇所である伝道者の書2章12節から17節では、ソロモンが知恵と愚かさを振り返り、人生の虚しさを感じています。「私は振り返って、知恵と狂気と愚かさとを見た。一体、王の後を継ぐ者も、既になされたことをするのに過ぎないではないか。」と彼は言います。知恵ある者も愚かな者も、結局は同じ結末に行き着くと彼は悟ります。
この虚しさの原因は、創世記3章にあるように、アダムとエバが善悪の知識の木の実を取って食べたことに始まります。「そこで蛇は女に言った。あなた方は決して死にません。あなた方がそれを食べるその時、あなた方の目が開け、あなた方が神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」このようにして人間の目が開かれ、愚かさが入り込んでしまいました。
ソロモンはこの世の知恵と愚かさを見つめ、虚しさを感じました。しかし、私たちは知っています。死の向こう側に永遠があることを。黙示録20章では、最終的な裁きが描かれています。「また、私は死んだ人々が大きいものも小さいものもミザの前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは命の書であった。」
私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩むべきです。第2コリント5章には、「確かに私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」とあります。私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
【結論】
ソロモンが感じた虚しさは、目で見ることに依存することから来ています。しかし、私たちは信仰によって歩むことが求められています。イエス・キリストを見つめ、永遠の視点を持ち続けることで、この地上での歩みが決して虚しくないことを実感できます。どうか、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さず、祝福された歩みを続けていきましょう。アーメン。