メッセージ - 愛で満たす主(ヨハネ21章) 礼拝音声
礼拝音声:愛で満たす主(ヨハネ21章)
週報/メッセージ(説教)概要
イエス様は、5つのパンと2匹の魚によって彼を慕ってきた5千人以上の腹を満たしたように、圧倒的な御技でもって主を慕う者を養い、働き人も養って下さった御力がある事を先週見た。
主はそればかりでなく、たとえ彼を慕う者が間違いを犯し、裏切ったとしても、悔い改めて立ち帰るなら赦し、愛による万全のサポートをもって癒し、霊肉魂の全面において満たして下さるお方である。
今日はそのような主のご性質を見ていきたい。
イエス様が十字架に架けられ、死んで、3日目に甦った後、弟子達は主から与えられていた働きから離れ、以前の生活に戻ろうとした事があった。(ヨハネ21章)
元漁師だった弟子達が主の弟子となった原点は、主の言葉どおりに深みに漕ぎ出して網を下ろし、その結果、船が沈みそうになるほど大漁に捕れた経験と、
「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)という招きの言葉である。
弟子達は主の圧倒的な御技を見、自分が罪深い人間であり、とてもこの聖なるお方に近づくには相応しくないにもかかわらず、人間をとる漁師として任命して下さった、主の懐の深すぎる愛に打ちのめされたから、イエスと共に働くようになったのである。
主は十字架に至るまで忠実であり、決して見捨てるが無く、愛に富んでおられた。
それなのに、弟子達は主を見捨てて逃げ、裏切り、ペテロはイエスを「知らない」と3度言った。
主は3日目に甦えり、弟子達に現れたものの、いつも弟子達と共にいるという訳ではなく、聖霊が力ある形で現れていなかったため、弟子達はなんとなく以前の職業に戻ろうとしていたのである。
そこで彼らはある晩、一晩中漁をしたのだが、魚は全く捕れなかった。
夜明け頃、「右側に網を下ろしなさい」と言う者があり、弟子達がその言葉どおりにすると、舟に引き上げられないほど大漁に魚が取れ、その時、弟子達はその者が主だと気付いた。
主は陸に上がろうとする弟子達のために、炭火をおこし、その上に魚とパンをのせて用意されていた。
イエスはパンを取って弟子達に与え、魚も同じようにされた。
「私がイエスだ」「魚を取るのではなく人間を取る漁師になれ」と、言葉で言えば話が早いのに、そうはせず、偉大なご性質を静かに示し、早朝のささやかな食卓を整え、優しいく繊細なご性質を示された。
ペテロは、主を知らないと3度言った手前、心にわだかまりがあったままであったが、主はそれを面と向かって責める事はなさらず「わたしを"完全に愛し尽して"(アガパオー)いるか?」と聞かれた。
ペテロは自分の愛がいかに危うく、いいかげんであるか嫌というほど知っていたため
「私があなたを親っている事をあなたは知っています」と答えるしか無かった。
主は同じ事を2度言われ、ペテロも同じ答えを2度したが、3度目に主は「わたしを親っているか?」と、ペテロの不完全な愛のレベルに降りて来られた。
主は3度目にそのように聞いて来られたので、彼の思いやり、彼の愛の深さにいたたまれなくなり、ただ「あなたは何もかもご存知です」と答えるしか無かった。
私達に出来る事は、私達の弱さ、愛の無さを、ただ主に知って頂く事だけである。
主は、私達が完全な愛を持っていない事は知っていて下さり、いつでも満たして余らせる事が出来る事を無言で示され、弱さに泣く私達を繊細な愛で溶かし、満たした上で、働きのために送り出して下さるのだ。
全てを満たして余らせて下さる主から、愛と慰めをいただき、潤され、愛で溢れ、その溢れた愛を持って世の中に出て行き、主の愛を伝える皆さんでありますように、イエスの名によって祝福します!
横浜天声キリスト教会 copyright 2011