メッセージ - 妙なる主の御業を思い起こせ(申命記29:1-9)
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出エジプトしたばかりの頃に、ホレブ山で交わされた契約からもう40年が経ち、イスラエルの民がすぐにでも約束の地に入ろうとしている時、そして、モーセの死が間近に迫った時に、主はモーセに命じて、モアブの野で再度契約を交わされた。
『これは主がモーセに命じて、モアブの地でイスラエルの人々と結ばせられた契約の言葉であって、ホレブで彼らと結ばれた契約のほかのものである。』(申命記29:1)
その内容は、それまで教えられて来た事に従順するように、という命令と、また、不従順を犯した場合、どのような罰が待っているかが強調されており、それまでの命令の確認的な内容となっている。
『モーセはイスラエルのすべての人を呼び集めて言った、「あなたがたは主がエジプトの地で、パロと、そのすべての家来と、その全地とにせられたすべての事をまのあたり見た。すなわちその大きな試みと、しるしと、大きな不思議とをまのあたり見たのである。しかし、今日まで主はあなたがたの心に悟らせず、目に見させず、耳に聞かせられなかった。』(申命記29:2-4)
イスラエルの民は、荒野で40年間、主からの多くの奇跡としるしを見て来たが、彼らは悟る所が無かった。
神は人に、神に聞き従う祝福の道を示しても、それを人が退け、敢えて自分の進みたい道から頑なに離れない人は、その、頑なな心のままに捨て置かれる。
神は人に、神に逆らう自由を与えられ、しかも、神の御子を殺す自由さえも与える程に、人の自由意志を尊重された。
そして、敢えて神に逆らう事を止めないような人には、永遠の滅び、すなわち、永遠に火で苦しめられる裁きが待っている。
私達も、イスラエルの民と同じように、主の妙なる業を見ている。それは人体や宇宙など、全ての被造物によって、である。
『神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。』(ローマ1:20-23)
無神論者は、神の永遠の力と神性の宿るこの被造物を見ておきながら、神がおられる事を無視し、あるいは意図的に認めようとはしない。
なぜなら、彼らにとって、全能なる神がいてもらっては、色々と不都合だからである。
つまり彼らは、自分の罪深さを、弱さを、義なる神の御前にはとうてい立てない事を、永遠の刑罰がある事を、無意識的に認めており、そのような事を否定したいからだ。
しかしそのように、敢えて神を認めず、ないがしろにして、自分の好き勝手をしていると、神は彼らを頑なな心ままに、滅びるにまかせ、汚れから汚れへと堕ちて行くに任せられる。
『ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。』(ローマ1:24) と記されている通りである。
モーセはイスラエルの民に、再び、神が荒野でなされた御業を思い起こさせている。
『わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった。あなたがたはまたパンも食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知るに至った。』(申命記29:5-6)
イスラエルの民がこの40年、毎日、飲み食いして来たマナや水について思い起こさせ、それらは100%主から与えられたものである事を認めさせている。
また、今自分自身が着ている服やくつについても、それらが40年も古びずにいる事は、主の御業に他ならない事を認めさせている。
『あなたがたがこの所にきたとき、ヘシボンの王シホンと、バシャンの王オグがわれわれを迎えて戦ったが、われわれは彼らを撃ち敗って、その地を取り、これをルベンびとと、ガドびとと、マナセびとの半ばとに、嗣業として与えた。』(申命記29:7-8)
最近彼らが戦った戦争についても、主がいかに奇跡的に勝利させて下さったかをモーセは思い起こさせている。
そして、次のように結論づけている。
『それゆえ、あなたがたはこの契約の言葉を守って、それを行わなければならない。そうすればあなたがたのするすべての事は栄えるであろう。』(申命記29:9)
これはもう、何度も聞かされて来た内容だが、結局、主の御言葉を守り行う事こそ、私達にとって全てである。