メッセージ - 契約の民は、誰で、どんな人か(申命記29:10-18)

契約の民は、誰で、どんな人か(申命記29:10-18)

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pastor 2014-4-15 22:49

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イスラエルの民は、これから主と契約を結ぼうとしているが、具体的に誰と契約するのかが明確化されている。
『あなたがたは皆、きょう、あなたがたの神、主の前に立っている。すなわちあなたがたの部族のかしらたち、長老たち、つかさたちなど、イスラエルのすべての人々、あなたがたの小さい者たちも、妻たちも、宿営のうちに寄留している他国人も、あなたのために、たきぎを割る者も、水をくむ者も、みな主の前に立って、あなたの神、主が、きょう、あなたと結ばれるあなたの神、主の契約と誓いとに、はいろうとしている。・・・
わたしはただあなたがたとだけ、この契約と誓いとを結ぶのではない。きょう、ここで、われわれの神、主の前にわれわれと共に立っている者ならびに、きょう、ここにわれわれと共にいない者とも結ぶのである。』(申命記29:10-15)

主と契約を結ぶ人、それは、神の民であるイスラエル部族で、上は部族の長から、下は薪拾いや水汲みに至るまで、あらゆる人種、あらゆる身分の人の全部と、そればかりでなく、あの時あの場にいなかった人も、この契約の対象者として、含まれているのだ。
遊女ラハブやルツは、あの時代あの場に立ち会っていなかったのに、イスラエルの神、主の翼の陰に救いを求める事の、信仰告白によって、神の民の交わりに入って来て、あたかも、あの契約をあの場で結んだかのような恩恵にあずかった。
それと同様に、現代を生きる私達も、キリスト・イエスを信じる信仰によって、救いの契約へと入る事ができるのである。

『これは主がさきにあなたに約束されたように、またあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、きょう、あなたを立てて自分の民とし、またみずからあなたの神となられるためである。』(申命記29:13)
主の救いの契約に入ると、人は神と共に住む特権にあずかり、神自らが、その人の神となって下さる。
創世の当初、人は元々そうであったが、人が御言葉に反し、神から離れてしまったために、その特権にあずかれなくなってしまった。
神と人とが共に住み、人は神の民となる。それは、黙示録21章でも示されている、人が本来あるべき姿であり、人が戻るべき究極の目標でもある。

神との契約関係において、最先に禁じられている事は、まことの神以外のものを、神としてしまう事である。
『われわれがどのようにエジプトの国に住んでいたか、どのように国々の民の中を通ってきたか、それはあなたがたが知っている。またあなたがたは木や石や銀や金で造った憎むべき物と偶像とが、彼らのうちにあるのを見た。』(申命記29:16-17)

イスラエルの民は、エジプトの中に住んでいた時も、またそこから脱出して約束の地へ向かう途中でも、異国の偶像を見てきたが、それを慕い求めてはならないと命じられている。
この国にも、そのような偶像は神社仏閣などにあるが、私達が気をつけるべき”偶像”は、そうした類のものばかりでない。
私達が注意すべき”偶像”は、より多くを持とうとする所有欲であり、また、この肢体に宿っている汚れた肉欲、すなわち不品行、汚れ、情欲、悪欲の類である。
『だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである。』(コロサイ3:5-6)

ソロモンは、主から与えられた素晴らしい知恵や地位、富では満足せず、酒に酔う事や、快楽、愚かさをも所有しようとしてしまった。(伝道者の書1-2章)
彼は、その貪欲にどっぷりとはまってしまい、実際の偶像礼拝者になってしまい(1列王記11章)、何もかもが虚しくなってしまったばかりでなく、自分が治めている国や、自分の子孫たちにも、大きな災いを相続させてしまった。
いかに人類最もIQが高いソロモンと言えども、貪欲に妥協してそれを追求してしまったら、その誘惑に勝つことは出来なかった。とするなら、ましてや、私達などが貪欲を追求したりするら、勝てるわけが無いのだ。
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲は、私達の内に生かして置く事なく、殺してしまうに限る。

『あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。』(コロサイ3:7-11)

イスラエルの民が偶像を投げ捨てたように、私達は、キリストを知る以前に夢中になっていた世の事、肉欲、怒りや憤り、口から出る恥ずべき言葉の類を、投げ捨てるべきである。
古き肉にまみれた自分自身は、キリストと共に十字架の死へと明け渡し、キリストにあって新しく造られた者として歩むのである。
キリストにあっては、人種差別も、身分差別も、一切無い。ただキリストこそ、全てである。

『それゆえ、あなたがたのうちに、きょう、その心にわれわれの神、主を離れてそれらの国民の神々に行って仕える男や女、氏族や部族があってはならない。またあなたがたのうちに、毒草や、にがよもぎを生ずる根があってはならない。』(申命記29:18)
雑草は、根こそぎ取り除かないなら、再び茂って来てしまうように、主から離れた罪の苦い根も、根こそぎ取り扱わないと、やがて茂って、そえrは多くの聖徒を汚してしまう。
だから私達は、聖徒の交わりを清く保つために、日々互いに励まし合って、清くなる事を求め、互いに教え戒め合うべきである。

『自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。』(ヘブル12:14-17)
聖徒の交わりは確かに楽しく麗しいものである。しかし同時に、そこには互いに戒めあう事が無ければ、その楽しい交わりは、たちまち苦くなってしまう。
私達の内には、一杯の食物で長男の権利を売り渡したエサウのような、銀貨30枚でイエス様を売り渡してしまったような、俗悪な者を好き放題させてはならない。
そのような性質が出ないよう、日々互いに励まし合って、交わりを清く保つ皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

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