メッセージ - 爆発的ないのちのパワー(マルコ16:1-8):礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
爆発的ないのちのパワー(マルコ16:1-8):礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2011-1-24 7:20
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安息日が明けて日曜日、すなわち主日の朝、女達が埋葬されたイエスの体に香油を塗るために墓へ行った。
香油は準備したものの、イエス様と自分達の間を邪魔している、大きな石と封印とローマ兵をどうすれば良いかと心配していた。
しかし、その全ての心配は実にちっぽけで、全く以って無用であった。
兵士達は御使いを見て恐ろしさのあまり死人のようになり、封印は破られ、石は転がされており、そもそも、イエス様は蘇られ、そこにはいなかったのだ。
ある考古学者の発見によると、その封印とは、石が動かないようにする鉄のくさびだったのだが、一瞬にして大きな衝撃が加わった不自然な折れ方をしていたという。
何トンものトラックが何十キロものスピードで衝突したかのような、当時としてはありえない折れ方である。
御使いが封印を打ち破って石を転がしたのは、女達の小さな心配の種を取り除くためではなく、イエスの大いなる復活を示すためである。
イエス様は生きたお方であり、死人というカテゴリの中から探し出す事は、間違いである。
死はイエス様を束縛できないのと同様、信じる我々も、束縛する事はできず死人というカテゴリの中にあるものではない。
イエス様は罪人の手に渡され、死んで3日目に起こされ、ガリラヤへ先んじて行く事は、確かに、予め弟子たちへ伝えられていた。
しかし、女達も弟子達も、彼らの中の一人でも「3日目だから蘇っただろうか」と思うものはなかった。
それだけイエス様は十字架上で、立派に、明確に死に尽したのである。
ヨハネやマリヤたちの目の前ではっきりと死に、槍で突かれ、葬られたのだ。
祭司長達や律法学者達は勝ち誇り、弟子達は敗北し、恐れ、隠れていたのである。
弟子達の誰の目にも絶望的な状況において、御使い達の知らせはありえない出来事だったが、御使いたちは確かに、イエス様が予め言われていた信じがたい事を語った。
十字架の復活を信じる私達も、大きな恐れと喜びと共に、ありえない復活にあずかり、逆転勝利者の側に立てるのである。
それは信じがたいかもしれないが、予め聖書に書かれてある通りである。
状況的には敗北であり死であるようなときも、イエス様が与えてくださった新しいいのちを経験し、永遠の勝利者の側に立つ事ができる。
一方、兵士達は起こった出来事を祭司長達や律法学者達に報告しに行ったが、協議の上、彼らに金を握らせて偽のうわさを流させた。(マタイ28:11-15)
この事から、彼らは「イエス様が蘇った」事を、その時信じた事がうかがえる。
もし信じていなかったら、弟子達が女の言う事をたわごととして追い返したように、兵士達の言う事をたわごととして取り上げなかったはずである。
弟子達は蘇りを信じなかったのに、祭司長達や律法学者達が信じた、というのは不思議だが、実は彼らもイエスがメシヤである事にうすうす勘付いていたのであり、その上で、彼らはイエスを十字架につけたのだ。
彼らは協議して金を掴ませ、偽りで塗りつぶそうとしたが、復活のいのちは押し留められるものでは無い。
イエスの敵は、協議と権力と金と偽りとで、いのちを押し潰そうとするかもしれないが、春になったら生えてくる草や花を人が留められないように、復活の朝のいのちの広がりは、サタンも人ももみ消そうとしても消えるものではない。
その復活のパワーといのちを体験し、いのちに溢れたみなさんでありますように、イエスの名前で祝福します!