メッセージ - 十字架上の七つの言葉 1 (イザヤ53:10-12)
十字架上の七つの言葉 1 (イザヤ53:10-12)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
本日はイースター、イエス様の復活を記念する日である。
イエス様は十字架の苦しみと死を経られ、復活された。イエス様が通られた一連の十字架の経験と、十字架上で為して下さった業は、私達キリスト者には最も大切な事である。なぜなら、彼が十字架上でなされたその一つ一つの故に、私達は執り成され、全ての贖いが成され、パラダイスへの道が開かれたからである。
イエス様が十字架上で発された言葉は、7つあり、それらは、御父に、私達に、そして、全被造物のために語られた。それら7つの言葉を、今回と次回とで見て行きたい。
まず一つ目の言葉は、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)である。これはイエス様が二人の犯罪人と共に十字架につけられた時に語られた。
この言葉は、他の誰にでもない、父なる神へ語った言葉であり、父の大切な、尊いひとり子を、このようにあざけり、罵り、十字架につけた事を、子自身がなだめた言葉である。
もし皆さんが父親で、愛する独り子が、邪悪な者達にあざけられ、罵られ、十字架に釘付けにされたなら、一体どうするだろうか。すぐに飛んでいってその者達を打ち倒し、子を救い出すのではなかろうか。
しかしイエス様は、父をなだめた。彼らをお赦し下さい、何をしているのか自分で分かっていないから、と。
全人類は、自分が何をしているのか分かっていない。神に対して、御子に対して、どんなに無礼を働き、自分自身に災いを積み重ねているか。しかしイエス様は十字架上で、全ての人のため執り成して下さった。
この時、彼を十字架につけているユダヤ人も、ローマ兵も、一緒になってイエス様を罵っている強盗も、そして、後に生まれてくる世界の人々、すなわち、私達も含め、全ての人がこの時、執り成されたのである。
確かにこの時、全人類は執り成されたのだが、それで全ての人が自動的にパラダイスに入れる訳ではない。
パラダイスに入れるのは、自分の罪を悔い改めて、イエス様を主とした人である。
イエス様が十字架上で語られた言葉の二つ目は、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ23:43)である。
これは、イエス様と共に十字架につけられている強盗に語られた言葉だ。死刑執行中の重罪人である。
パラダイスという、彼のような罪人は到底入る望みの無い、いや、入ってはならない所に、入る権利が与えられる事の宣言だ。なぜそのような大逆転が彼に与えられたのか。それは悔い改めと信仰告白の故である。
彼は、自分が今受けている苦しみは、自分の罪の当然の報いで、イエス様は罪なきお方だと告白した。
そしてイエス様は、彼と同じく、死刑の真っ最中で、あと数時間で死ぬはずなのに、その先の話をしている。
なんと、十字架刑という最高の苦しみと恥辱の死の向こう側で、イエス様は栄光の御国の座に着くというのだ。つまり彼は、イエス様は、生死を越えた王であると認め、告白したのだ。
そして、「私の事を思い出してください」と言ってイエス様に個人的に関わって欲しい事を申し出た。
これが、イエス様と共にパラダイスに入れる人の特徴である。
十字架上の言葉の 三つ目は、イエスの母マリヤと、愛する弟子のヨハネへ語られた言葉、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です。」「ごらんなさい。これはあなたの母です。」である。
イエス様は、血の繋がった母マリヤに対して「婦人よ」と声をかけている。まるで血のつながった母ではないかのように。そして、これまた血の繋がっていないヨハネに、マリヤを「あなたの母です」と定めている。
キリストの血は、血の繋がっていない聖徒同士を、主にある兄弟姉妹を、血の繋がり以上の繋がりとするものであり、隔ての壁を打ち壊す。そのようにして、キリストの血によって結ばれた者たちは、もはや異国人でも旅人でもなく、天の国籍の者であり、聖徒であり、神の家族である。(エペソ2:11-20)
『このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。』(エペソ2:21-22)
イエス様は十字架上で、このように産みの苦しみをされ、そして私達は赦され、癒され、聖徒とされ、神の家族、聖なる国民とされたのだ。私達は決して、イエス様の十字架上での苦しみを軽んじてはならない。