メッセージ - 強く雄々しく進み行け(申命記31:1-8)
礼拝説教メッセージ音声:強く雄々しく進み行け(申命記31:1-8):右クリックで保存
前章までの所では、祝福を受ける法則と、その逆ののろいを受けてしまう法則とを、繰り返し丁寧に教えこまれて来た。
そして、祝福を受ける法則とは、何度も聞いてきた通り、、御声に聞き従い、御言葉を守り行う事だった。
この祝福の法則に立つならば、あの有名な励まし「強くあれ、雄々しくあれ」の幸いに入る事が出来る。
『そこでモーセは続いてこの言葉をイスラエルのすべての人に告げて、彼らに言った、「わたしは、きょう、すでに百二十歳になり、もはや出入りすることはできない。また主はわたしに『おまえはこのヨルダンを渡ることはできない』と言われた。あなたの神、主はみずからあなたに先立って渡り、あなたの前から、これらの国々の民を滅ぼし去って、あなたにこれを獲させられるであろう。また主がかつて言われたように、ヨシュアはあなたを率いて渡るであろう。』(申命記31:1-3)
モーセ五書の中心人物であり、律法の代表的存在とも言えるモーセの死は、いよいよ近くなった。
彼は、多くの実績と功労を残したが、たった一つの過ちを犯したが故に、主が用意された安息の地には、入れない事が、確定してしまった。
一つでも過ちを犯してしまうと、どんな功績を残しても、安息には入れない。
その事は、律法の性質をよく表している。
律法は、たった一つの違反を犯しても、律法の全体を犯したと、みなされてしまう。(ヤコブ2:10)
そして律法の致命的欠陥は、人には違反があるという事を単に示すだけで、いのちを与える事ができない事である。(ガラテヤ2:21, 3:21)
『いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。』(ガラテヤ3:10-11)
モーセは、約束の地の手前までは導く事は出来ても、約束の地に導き入れる場面には立ち会えなかった。
人々を約束の地へと導き入れるのは、モーセではなく、ヨシュアである。
この事も、イエス・キリストを信じる信仰と、旧約律法との関係を、よくあらわしている。
ヨシュア、その名はヘブライ語読みでは「イエシュア」、すなわち、イエス様と同名である。
私達を約束の地、すなわち、永遠のいのちへと導くお方は、モーセに代表される律法ではなく、イエスキリストである。
律法は、イエス・キリストへと導く事はできても、実際に安息の地へは入れない。
永遠の安息の地・天国へと導き入れるのは、イエスである。
『律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。』(ガラテヤ3:24)
律法にあって歩む人は、確かに祝福と幸いを受けるが、律法は人を義とする事も、永遠のいのちを与える事も、出来ない。(ガラテヤ2:21, 3:21)
人を義とするのも、永遠のいのちを与えるのも、唯一、イエス・キリスト、この御方である。
『主がさきにアモリびとの王シホンとオグおよびその地にされたように、彼らにもおこなって彼らを滅ぼされるであろう。』(申命記31:4)
少し前、イスラエルは、広大な地域を支配する王たち、シホンとオグに、やすやすと勝利した。(民数記21章)
そのように、いかに広大な地に住む強敵であっても、以下の事を守るなら、カナンの町々をも勝利させ、やすやすと入る事が出来る。
『主は彼らをあなたがたに渡されるから、あなたがたはわたしが命じたすべての命令のとおりに彼らに行わなければならない。あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう。』(申命記31:5-)
恐れない事こそ、肝要である。
40年前、イスラエルは、もう約束の地まであと一歩という所で、恐れをなして、進み行かなかった。それで、荒野での40年の放浪に、陥ってしまった。
私達の信仰生活でも、この、恐れの故に、信仰の「あと一歩」が踏み出せず、40年の荒野の放浪に迷っているクリスチャンは多い。
私達は、恐れて尻込みする者ではなく、進み行って勝ち取る者でありたい。信じて進み行くなら、あっさりと勝利し、祝福を勝ち得るのである。
『ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。』(ヘブル10:35-39)