メッセージ - 主が弓を引いて敵対する人とは(申命記32:19-25)
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主は常に真実であり、人々を幸いと祝福をもって扱われて来たのに、人はそれを、裏切りと不真実でもって、主に返した。
それで主は言われる。
『主はこれを見、/そのむすこ、娘を怒ってそれを捨てられた。そして言われた、/「わたしはわたしの顔を彼らに隠そう。わたしは彼らの終りがどうなるかを見よう。彼らはそむき、もとるやから、/真実のない子らである。』(申命記32:19-20)
主の御顔は、私達を祝福によって照らす太陽であり、平和の源である。(民数記6:24-26)
太陽が遮られた植物は、たちまちしおれてしまうように、主の御顔をそむけられてしまった人は、たちまち、霊的にも肉的にも物質的にもしおれてしまう。
『彼らは神でもない者をもって、/わたしにねたみを起させ、/偶像をもって、わたしを怒らせた。それゆえ、わたしは民ともいえない者をもって、/彼らにねたみを起させ、/愚かな民をもって、彼らを怒らせるであろう。』(申命記32:21)
主は、恵み深い人には恵み深く、全き人には全くあられ、きよい人にはきよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。(詩篇18:25-26)
また、主を邪推する者には、彼が量ったのと同じ秤で、量り返される方。(ルカ19:22)
だから、人が主を、神ではないものによってねたみを引き起こさせるからには、民ではないと思えるような人々を用いて彼らにねたみを引き起こさせ、人が主を、偶像によって怒らせるからには、愚かな民を用いて、彼らを怒らせる。
『わたしの怒りによって、火は燃えいで、/陰府の深みにまで燃え行き、/地とその産物とを焼きつくし、/山々の基を燃やすであろう。』(申命記32:22)
主の怒りは、その者達の産物を焼きつくし、彼らが頼りにしている山々の基さえ焼き尽くされる。
しかし、主を避け所とする人は、たとえ山々が移り変わり、海の真中に移っても、恐れる事は無い。
『神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。』(詩篇46:1)
『わたしは彼らの上に災を積みかさね、/わたしの矢を彼らにむかって射つくすであろう。彼らは飢えて、やせ衰え、/熱病と悪い疫病によって滅びるであろう。わたしは彼らを獣の歯にかからせ、/地に這うものの毒にあたらせるであろう。外にはつるぎ、内には恐れがあって、/若き男も若き女も、/乳のみ子も、しらがの人も滅びるであろう。』(申命記32:23-25)
主の矢は、食料危機の矢、貧乏の矢、熱病と悪い疫病による滅びの矢であり、若くても年老いても、男も女も、乳飲み子であっても、悔い改めのない者に対しては、容赦なく射掛けられる。
『わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である。もし人が悔い改めないならば、神はそのつるぎをとぎ、その弓を張って構え、また死に至らせる武器を備え、その矢を火矢とされる。』(詩篇7:10-13)
悔い改めない者は、地を這うものの毒のえじきとなってしまう。(申命記32:24)
この「地に這うもの」は、創世記にてアダムとエバを惑わしたあの古い蛇、すなわち、サタンであろう。
『主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう。」』(創世記3:14-15)
人は、主の御言葉に聞き従わず、悔い改めもしないなら、ただのサタンのエサ、ただのちりに過ぎない。
しかし、蛇のかしらをふみ砕く「女のすえ」、すなわちイエス様に救いを求め、御言葉に従順であり、主にあって善にはさとく、悪にはうとくあるなら、平和の神は、すみやかに私達の足を用いて、サタンを踏み砕かせて下さる。(ローマ16:19-20)
人は結局、悔い改めてイエス様を信じる以外に、救いは無いのだ。