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メッセージ - モーセの最後の祝福の祈り(申命記33:1-5)

モーセの最後の祝福の祈り(申命記33:1-5)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 申命記
執筆 : 
pastor 2014-5-7 23:51

礼拝説教メッセージ音声:モーセの最後の祝福の祈り(申命記33:1-5):右クリックで保存

『神の人モーセは死ぬ前にイスラエルの人々を祝福した。祝福の言葉は次のとおりである。』(申命記33:1)
モーセは、先祖の列に加えられる間際、すなわち、死を目前にして、イスラエル民族を祝福した。
彼らの祖先のヤコブ、すなわち、イスラエルも、先祖の列に加えられる間際に、彼の12人の子たちを呼び寄せて、祝福したし、主イエス様も、十字架にかかられる直前、弟子たちを御名と御言葉へと託す祈りをし(ヨハネ17章)、また、イエス様がよみがえってから、天にあげられる際にも、イエス様は祝福の姿勢のまま、挙げられて行った。(ルカ24:50-51)

祝福、それは私達聖徒が、たがいに愛する者に対して、為すべき事である。
パウロも、殉教を覚悟した時、自分がそれまで養ってきた聖徒達を集め、彼らを、主の恵みと、御言葉とに託す宣言をした。
『だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。』(使徒20:31-32)私達聖徒が、息子や娘たち(肉的であれ霊的であれ)に残すべきは、祝福の祈りであり、そして託すべき先は、決して変わる事の無い御言葉であり、神の恵みなのだ。

『「主はシナイからこられ、/セイルからわれわれにむかってのぼられ、/パランの山から光を放たれ、/ちよろずの聖者の中からこられた。その右の手には燃える火があった。』(申命記33:2)
主は、荒野の行程におけるそれぞれの場所で、必要な御言葉を授け、時に道を示し、時には戒め、懲らしめ、そして憐れみで包んで下さった。
私達の人生においても、それぞれの場面場面において、主が御言葉を授けて下さり、導いて下さり、時には訓戒し、そして、私達弱さや罪を、憐れみによって包んで下さった事を、思い出すはずである。

『まことに主はその民を愛される。すべて主に聖別されたものは、み手のうちにある。彼らはあなたの足もとに座して、/教をうける。』(申命記33:3)
主は、主に聖別された民を愛される。それは何も、イスラエルだけに限った事ではない。
「彼らはあなたの足もとに座して、/教をうける。」とある通り、主の御言葉を慕い求める、主の足元に座して教えを受ける人なら、全て、主の民であり、そこには、国籍も血筋も関係無いのだ。

イエス様は、十字架の前夜、弟子たちのために祈られたが、その祈りは、何も、そこにいた弟子たちだけに対してのものではない。
その時代にはまだ生まれていなかった「私達」も含め、将来、キリストにあって信じる全ての者に対し、主は、祈られたのである。
『わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。
わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。』(ヨハネ17:20-23)
ゆえに、私達は主の執り成しと、御言葉によって、聖められ、世から分離されるのである。

『モーセはわれわれに律法を授けて、/ヤコブの会衆の所有とさせた。民のかしらたちが集まり、/イスラエルの部族がみな集まった時、/主はエシュルンのうちに王となられた」。』(申命記33:4-5)
再び、「エシュルン」という言葉が用いられている。
エシュルンは、イスラエルをあらわす言葉であるが、最初に登場したエシュルンは、主に良くしていただいて肥え太った時に裏切る者として記された。(32:15)
そして、次に登場するエシュルンが、今回の箇所であり、主が王となられる様が記されており、そして、最後に登場するエシュルンは、主が共におられるさいわいな者として、記されている。(26節)
これは、私達が造り変えられていく有り様にも似ている。
最初は主を裏切っていた私達も、主が王となられ、私達を支配し、私達が主の支配の内に整えられて行く内に、とこしえに主が共におられる幸いへと入るのである。
『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。』(黙示録21:3-4)

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