メッセージ - レビへの祝福(申命記33:8-11)
礼拝説教メッセージ音声:レビへの祝福(申命記33:8-11):右クリックで保存
今回は、レビ族への祝福である。
『レビについては言った、/「あなたのトンミムをレビに与えてください。ウリムをあなたに仕える人に与えてください。かつてあなたはマッサで彼を試み、/メリバの水のほとりで彼と争われた。』(申命記33:8)
前回見たように、シメオンとレビは、シェケムの事件での暴虐な行動のため、ヤコブからのろいを受けた。(創世記49:5-7)
シメオン族は荒野での行状が悪かったからなのか、モーセはシメオン族を今回の祝福から外してしまったが、レビ族に対しては、モーセはとても素晴らしい祝福をしている。
それは、レビ族は、イスラエル全体がシナイ山のふもとで堕落して、金の子牛を拝み、戯れた時、彼らは御言葉に従順し、信仰をその行動であらわした唯一の部族だからである。
『彼はその父、その母について言った、/『わたしは彼らを顧みない』。彼は自分の兄弟をも認めず、/自分の子供をも顧みなかった。彼らはあなたの言葉にしたがい、/あなたの契約を守ったからである。』(申命記33:9)
あの事件の時、レビ族は、自分の兄弟姉妹、自分の子供に逆らってでも、主の言葉に従い通した。
『モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。』(出エジプト記32:26-27)
モーセはこの時、自分の兄弟、友、隣人は、誰彼かまわず殺せ、というニュアンスで言ったのではなく、モーセが金の子牛を粉々に砕いても、恐れる心なく、なお、ほしいままにふるまっていた者達を見て(25節)、そのような者達を殺すように言ったのであろう。
事実、この時殺されたのは、イスラエル全六十万中、三千人しかいなかった。そして、それだけの人数が、モーセが戒めても、付け上がっていたのだろう。
ひと度つけあがると、そこに指導者が現れても、調子に乗ったまま嘲るような者はいるが、神の会衆の中でそのような者が出た時、放っておいてはならない。
そのまま野放しにしておくと、主の敵に大いに嘲りの心を芽生えさせるからだ。(2サムエル12:14)
『レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。そこで、モーセは言った、「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた。それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう」。』(出エジプト記32:28-29)
レビ族にモーセからの祝福が与えられ、主から祭司の任が与えられたのは、実に、「おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた」からだ。
私達も、もし、自分の兄弟、友、隣人が、主から離れて反逆した時、彼らには、逆らわなければならない。
聖書は確かに、与えられた権威には積極的に従い、血縁の面倒をしっかり見るよう命じているが、ただし、彼らが信仰を棄却するよう命じて来たり、罪や汚れた事を犯させるように仕向けて来るなら、それに対しては、逆らわなければならないのだ。
キリストを主として受け入れるなら、誰でも、王のような祭司、聖なる国民としての特権が与えられる。(2ペテロ2章)
『彼らはあなたのおきてをヤコブに教え、/あなたの律法をイスラエルに教え、/薫香をあなたの前に供え、/燔祭を祭壇の上にささげる。』(申命記33:10)
祭司のつとめは、ここに記されている通り、御言葉を人々に教え、神と人との間に立って執り成しの祈りをささげる事である。
レビという名には元々、「結ぶ(ラバ)」という意味があり、神と人とを結びつける役割があるのだ。
そして、彼らに対する祝福は、資産が豊かにされ、手のわざが恵まれ、敵の腰が主に打たれて立ち上がれなくなる事である。
『主よ、彼の力を祝福し、/彼の手のわざを喜び受けてください。彼に逆らう者と、/彼を憎む者との腰を打ち砕いて、/立ち上がることのできないようにしてください」。』(民数記33:11)
これが、自分を捨てて自分の十字架を負い、御言葉に聞き従って主についていく者、すなわち、祭司とされる者に与えられる祝福である。
祭司には、このように素晴らしい特権が確かにあるが、与えられたからには、為すべき務めがある事も忘れてはならず、それを怠ってはならないのだ。