メッセージ - 困難な時代の母の信仰(出エジプト記2:1-10)
困難な時代の母の信仰(出エジプト記2:1-10)
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本日は、母の日である。今回は信仰によって幸いを得たモーセの母ヨケベデについて見てみたい。
『レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。』(出エジプト2:1)
それは、とても困難な時代での結婚である。イスラエル人は奴隷とされ、強制労働で搾取され、虐待され、結婚して子供を産んでも、男の子ならナイル川に投げ込まれてしまうという、絶望的な時代である。
過酷な労働で搾取され、将来に希望が見いだせない時代は、普通、結婚する事や子供を産む事が億劫になって、人口は減って行くものだという事は、現代日本を生きる若者なら、実感する所であろう。
それでもこの男女は結婚し、子供を産み、パロの命令どおりにいのちを消す事は、しなかった。それは、信仰による。『信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。』(ヘブル11:23)
時代の王の命令は、いのちを殺す事だったが、この両親は、そんな王の命令を恐れず、むしろ、いのちを守ろうとした。なぜなら、その子のいのちの輝きの美しさ、麗しさを見たからだ。
まったき愛は、恐れを締め出す。(1ヨハネ4:18) 彼らは、愛の故に、王の命令も恐れなかったのだ。
しかし3ヶ月も経つと、さすがに隠しきれなくなったために、彼らは苦渋の決断をする。パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の葦の中においた。
この行動は、赤ちゃんを放棄する事とは違う。他の多くの親たちは、パロの命令は絶対だから、今の世情は、男の赤ちゃんは捨てるべし、という流れだから、みんなも赤ちゃんを捨てているから、と、初めから諦めていたのに対し、この両親は、信仰によって、思いを尽くし力を尽くしていのちを守ろうとしたが、それでも自分の力ではどうしようもなくなったから、神様の御手に委ねたのだ。
私達も、時代が時代だから、と、いのちに対し、子育てに対し、あきらめてはいないだろうか。
しかし主は、それでも信仰によっていのちにあきらめない人に対しては、祝福と守りを与えられる。
かごにかわいい赤ちゃんを入れて水の上に送り出さなければならない母親の心は、断腸の思いだったろう。
水に浮かべたかごに、眼差しを向け、自分の胸に抱いて、自分の乳で養いたかった、成長して行く様を見守りたかった、と思いながらも、彼らの神である主に、赤ちゃんの守りを祈りつつ、見送ったに違いない。
母の、子を思う愛以上の愛は、人間には無い。苦しみながら産んだ子供に、自分のいのちを分け与え、その子を見守り、いつも気にかけ、言葉にならないうめきで執り成し、育てる。母とはそういうものである。
今、私達を言いようもない深いうめきによって執り成して下さる霊は、聖霊である。(ローマ8:26-27)
聖霊はいつまでも、どこまでも私達を探り、追いかける。たとえ私達が、罪と汚れにまみれ、死んだかのようになっても、なお深く憐れみ、弁護し、成長して主の御前に立てるまで、守り、育て、執り成すのだ。
母の自分の子に対する祈りは、絶大である。主は、母の、子に対する愛については、何者も犯してはならない守りを定められた。主に捧げるいけにえの動物でさえ、生まれてから7日間は母親のそばに置かなくてはならないし(出エジプト記22:30)、子をその母の乳で煮てはならないとも命じられた。(申命記14:21)
母は、痛みつつも自らの体を開いて新しい命を生み出し、自らの乳で養い、守り、育てていくものであり、母と子の両方を引き離したり、いのちの養いである乳で子を煮る行為は、いのちを踏みにじる行為なのだ。
主は、その母の執り成す祈りを、聞かれた。主は赤ちゃんをナイルの獣から守り、水に沈める事なく、パロの娘の所へと導いて下さり、しかも、その子を合法的に、自分の乳で養い育てる事が出来るようになり、その報酬さえも、もらえるように、して下さったのだ。
赤ちゃんの親は、一旦は失ったと思っていた子のいのちを、信仰によって、水の中から取り返したのだ。
他の多くの赤ちゃん達は、時代がそうだから、という事で死に渡されて行ったが、どのような時代になったとしても、いのちは主のものである。主は御心のままに人の所に新しいいのちを送り、そのいのちを養うのに必要な物も、力も、全て備えて下さり、いのちを大切にする人には、さらに祝福し、徹底して守られる。
困難な時代にあっても、いのちを大切にし、主ご自身から、全て必要な養いをいただき、家族の中が和気あいあいで、いのちと食べ物と笑いが絶えない家でありますように、イエス様の名前によって祝福します!