メッセージ - ゼブルンとイッサカル、ガドへの祝福(申命記33:18-21)
礼拝説教メッセージ音声:ゼブルンとイッサカル、ガドへの祝福(申命記33:18-21):右クリックで保存
今回は、ゼブルンとイッサカル、ガドに対する祝福である。
『ゼブルンについては言った、/「ゼブルンよ、あなたは外に出て楽しみを得よ。イッサカルよ、あなたは天幕にいて楽しみを得よ。彼らは国々の民を山に招き、/その所で正しい犠牲をささげるであろう。彼らは海の富を吸い、/砂に隠れた宝を取るからである」。』(申命記33:18-19)
ゼブルンとイッサカルは、聖書の他の箇所でも、よくペアで登場するが、ヤコブが祝福した時も同じように預言している。
「ゼブルンは海べに住み、/舟の泊まる港となって、/その境はシドンに及ぶであろう。イッサカルはたくましいろば、/彼は羊のおりの間に伏している。彼は定住の地を見て良しとし、/その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、/奴隷となって追い使われる。」(創世記49:13-15)
ゼブルンは、海と関係した祝福があるようである。ヤコブが言及したシドンは、地方最大の港町であり、地中海の海洋貿易で大いに栄えた。
イッサカル部族はゼブルンの領地の南に、狭いながらも豊かな相続地を得た。
しかし、良い地を得て安逸をむさぼった結果、やがては奴隷とされてしまう事を、ヤコブは預言したが、後にはその言葉の通り、カナン人やアッシリアなど他国に貢を収めたり、苦役を課せられる事になってしまった。
私達も、祝福されて油断し、信仰になまけ癖をつけてしまうと、やがては敵にいいようにされ、罪の奴隷となってしまう事もありうる。
祝福を受けたからと言って、なまけてはならない。怠け続けていると、以下の箴言の御言葉どおりになってしまうからだ。
『わたしはなまけ者の畑のそばと、知恵のない人のぶどう畑のそばを通ってみたが、いばらが一面に生え、あざみがその地面をおおい、その石がきはくずれていた。わたしはこれをみて心をとどめ、これを見て教訓を得た。「しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む」。それゆえ、貧しさは盗びとのように、あなたに来、乏しさは、つわもののように、あなたに来る。』(箴言24:30-34)
『ガドについては言った、/「ガドを大きくする者は、ほむべきかな。ガドは、ししのように伏し、/腕や頭の頂をかき裂くであろう。彼は初穂の地を自分のために選んだ。そこには将軍の分も取り置かれていた。彼は民のかしらたちと共にきて、/イスラエルと共に主の正義と審判とを行った」。』(申命記33:20-21)
ガド族はルベンやマナセと共に、他の部族に先んじて、ヨルダン川の東に相続地を得た。
彼らは、イスラエルがカナンに攻め入る前、非常に多くの家畜を得ていたため、ヨルダン川の東側に相続地を先に与えてくれるようにモーセに願い出たのだが、モーセは、ガド族たちは民の先頭に立って戦う事を条件に、それを受け入れた。(民数記32章)
実際、彼らは先に先んじて戦い、イスラエルの他の部族のために多くの相続地を勝ち得たため、ヨシュアから祝福されて送り出された。
「あなたがたは主のしもべモーセが命じたことを、ことごとく守り、またわたしの命じたすべての事にも、わたしの言葉に聞きしたがいました。今日まで長い年月の間、あなたがたの兄弟たちを捨てず、あなたがたの神、主の命令を、よく守ってきました。今はすでに、あなたがたの神、主が、あなたがたの兄弟たちに、先に約束されたとおり、安息を賜わるようになりました。それで、あなたがたは身を返して、主のしもべモーセが、あなたがたに与えたヨルダンの向こう側の所有の地に行き、自分たちの天幕に帰りなさい。」(ヨシュア22:2-4)
キリスト者にも、色々なタイプがいる。
ゼブルン族のように、積極的に世に出て行って、外部との交渉によって聖徒の交わりに富をもたらしてくれる人もいるし、イッサカル族のように、神の国の内側において本領を発揮する人もいる。
ガド族のように、真っ先に祝福が与えられて、幸いがまだ与えられていない人を積極的に支援し助ける人もいる。
主はおのおのにバラエティに富んだ賜物を与えて下さり、それぞれが、与えられた量りに応じ、互いに助け合い、互いに成長して行くのが、教会の特色である。
それぞれに与えられた賜物を有効に活用し、共に立て上げられ、キリストの満ち満ちた身丈にまで成長して行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!