メッセージ - ダン、ナフタリ、アシェルへの祝福(申命記33:22-25)
礼拝説教メッセージ音声:ダン、ナフタリ、アシェルへの祝福(申命記33:22-25):右クリックで保存
今回は、ダン、ナフタリ、アシェルに対する祝福である。
彼らの相続地は、いずれもガリラヤ湖近くで、後の時代にイエス様が活動された地域である。
『ダンについては言った、/「ダンはししの子であって、/バシャンからおどりでる。」』(申命記33:22)
ヤコブも、死ぬ間際に彼らについて預言している。『ダンはおのれの民をさばくであろう、/イスラエルのほかの部族のように。ダンは道のかたわらのへび、/道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、/乗る者をうしろに落すであろう。主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。』(創世記49:16-18)
これらの言葉から、ダンは力強くて、他を害する者である事がわかる。
実際、獅子を素手で引き裂いた士師・サムソンは、ダン族の出で、ペリシテに多くの打撃を与え、敵にとってはまさに「道のかたわらのへび、道のほとりのまむし」であったが、その力の矛先を、主にある兄弟姉妹に向けるとなると、それは、呪いと災いの性質となってしまう。
ダン族は、黙示録7章の12部族リストからは除外されてしまっているが、そういう事なのかもしれない。
『ナフタリについては言った、/「ナフタリよ、あなたは恵みに満たされ、/主の祝福に満ちて、/湖とその南の地を所有する」。』(申命記33:23)
ヤコブの彼らについて預言は『ナフタリは放たれた雌じか、/彼は美しい子じかを生むであろう。』(創世記49:21)である。
この「子じか」は、「歌」や「ことば」の意味もあり、「彼は美しい歌(ことば)を生む」とも訳せる。
ナフタリの地、それは、イエス様が住まわれた所であり、宣教を開始した所でもある。
『イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。』(マタイ4:12-17)
ヤコブはナフタリを、美しい歌、美しい言葉を生み出す地として祝福し、モーセも恵みと祝福に満ちた地として祝福した。
それはもしかすると、メシヤのおとずれをナフタリに見ていたからなのかもしれない。
アセル部族に対しては、ヤコブも祝福している。
『アセルはその食物がゆたかで、/王の美味をいだすであろう。』(創世記49:20)
アシェルは、幸せという意味である。彼らは豊かな食物で、王の美味な食卓を整える、という。
王といえばキリストであるが、キリストの食物とは「御心を行い、御業を成し遂げる事」である。(ヨハネ4:34)
『アセルについては言った、/「アセルは他の子らにまさって祝福される。彼はその兄弟たちに愛せられ、/その足を油にひたすことができるように。あなたの貫の木は鉄と青銅、/あなたの力はあなたの年と共に続くであろう。」』(申命記33:24-25)
足に油を、という言葉からは、ベタニヤのマリヤを思い出す。彼女は高価なナルド油のつぼを割り、イエス様に注ぎ尽くして、足へと流れた油を髪でぬぐった。(ヨハネ12章)
彼女は、誰よりもイエス様の言葉を慕い求め、イエス様の足元で聞き入っていたため、御心を悟り、イエス様の葬りの整えを唯一行う事の出来た人である。彼女は見事、御心を行い、王であるキリストの美味なる食卓を整えたわけだ。
その行いは、永遠に記念として、今も語り伝えられている。
主にある兄弟姉妹にも、色々なタイプがあるが、私達は、ダン族のような、蛇のように草むらから伺って他を噛み付くような性質ではなく、ナフタリのように美しい言葉・美しい歌を生み出す者、アセルのように王なるキリストに美味な食卓を整える者でありたい。