メッセージ - 神の前では言葉に気をつけよ(伝道者の書5:1-3)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
神の前では言葉に気をつけよ(伝道者の書5:1-3):右クリックで保存
【概要】
神の宮に入る際の心構えと、軽々しい言葉や行動を戒める説教。
【聖書箇所】
伝道者の書5章1-7節
【戒めの言葉】
神の宮に入る時は自分の足に気をつけ、軽々しく言葉を発せず、心を込めて聞くことが大切である。
【勧めの言葉】
御言葉をよく噛みしめ、反芻し、ノートに記録することで、神からの教えを心に刻むべきである。
【悔い改めの促しの言葉】
隠し持っている罪や汚れがあれば、それを主の前に差し出し、清められるべきである。
【***詳細***】
今日の御言葉は、伝道者の書5章1-7節です。特に1-3節を中心に語られています。
「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよう。しかし、近寄って聞くことが、愚かな者が生贄を捧げるのに勝り、彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。神の前では、軽々しく、心焦って言葉を出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、言葉を少なくせよ。」
この御言葉は、私たちが神の宮、つまり教会に来る時の心構えについて教えています。神の宮は特別な場所であり、ここで行うことは全て神に対して行うのと同じです。ですから、礼拝や賛美、祈り、御言葉を聞く際には、よくよく自分自身に気をつけるべきなのです。
軽々しい態度で賛美をしたり、いい加減な心で祈ったりすることは、主の御前で不敬なことをしているのと同じです。御言葉の学びにおいても、示された箇所をしっかりと受け取り、自分のものとすることが大切です。忘れやすい人はノートに書き、心に留めるべきです。
「近寄って聞くことは、愚かな者が生贄を捧げるのに勝る」という言葉は、心を込めて聞くことの大切さを示しています。キング・ジェームズ版では「愚かな生贄を捧げるよりも聞く準備をせよ。悪とされないために」と訳されています。つまり、いい加減な態度で礼拝に臨むことは、神の前で悪を行っていることと同じなのです。
また、神の前で軽々しく約束をすることも戒められています。その場しのぎで口約束をしても、それを守らなければ神を侮ることになります。むしろ、言葉を少なくし、慎重に話すべきです。
聖書には、アカンの例が出てきます。彼は清められるべきものを隠し持っていたために、イスラエルの民全体が敗北を喫しました。私たちも同様に、隠し持っている罪や汚れがあれば、それを主の前に差し出し、清められるべきです。
礼拝は教会に来る前から始まっており、帰宅後も続いています。家を出た時から心を整え、礼拝後も御言葉を反芻し、日常生活の中で実践することが大切です。御言葉は「固い食物」であり、じっくりと噛みしめ、味わう必要があります。
また、主からの懲らしめを受けることは、実は幸いなことです。なぜなら、それは神が私たちを子として扱っておられるからです。懲らしめを受けない者は、むしろ見捨てられた者と言えるでしょう。
最後に、御言葉ノートを取ることを勧めています。御言葉から与えられた教え、戒め、決心などを記録することで、後で読み返した時に大きな宝となります。
【結論】
神の宮に入る時は、自分の足に気をつけ、軽々しい態度を避け、心を込めて聞く姿勢が大切です。御言葉をよく噛みしめ、反芻し、日常生活で実践することで、私たちは清められ、成長していくのです。隠し持っている罪や汚れがあれば、それを主の前に差し出し、清められましょう。そうすることで、私たちは真に神を礼拝し、御言葉に生きる者となることができるのです。