メッセージ - 主が敢えて不可能と思える事を指示する時(ヨシュア記3:14-17)
主が敢えて不可能と思える事を指示する時(ヨシュア記3:14-17)
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- 執筆 :
- pastor 2014-6-2 18:24
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『こうして民はヨルダンを渡ろうとして天幕をいで立ち、祭司たちは契約の箱をかき、民に先立って行ったが、箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、―― 上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。』(ヨシュア記3:14-16)
大麦の刈り入れ時期(3−4月)のヨルダン川は、ヘルモン山からの雪解け水のために、年中で最も水位が高い時期である。
水は冷たく川岸まで満ちており、流れは早い。
人は思う。
なぜよりによって、一年で最も困難な時期に?と。
別に敵が追ってくる訳でもないし、ヨルダン川のこちら側でも、既に、そこそこの良い土地を得たのに、なぜ、危険を冒してまで、向こう岸へ行かなくてはならないのだろうか?
主は、敢えて、最も困難な、最悪な状況へと導き、そして、人の目には不可能だと思えるような事を指示される時がある。
その時、信仰をもってその指示に従うならば、主は必ず御業を働かせ、人の手では100%成し得ない、大いなる事を為してくださる。
ギデオンの時は、13万5千人に対してわずか300人で勝利したし、ヨナタンの時は、戦車3万、歩兵は数え切れない程の敵に対し、わずか信仰者の二人が立ち向かい、イスラエル全体を勝利へと導いた。(1サム13-14章)
祭司が進んだのは、目の前の川の流れがせき止められたからではなく、川がまだたっぷりと水を湛えている時だった。
しかし、祭司達が足を進めて行き、足が水に浸ると、川は堰き止められたのだ。
私達は様々な見込みを計算する。
しかし、そのような「はかりごと」をとりこにして御言葉に服従させ、信じて進むならば、川は堰き止められ、障害の山は海に移るのである。
冷たい水が目の前を流れているヨルダン川へと、一歩ずつ、奥深くへと足を踏み入れて行く祭司は、恐れたかもしれない。
しかし、彼らが担いでいるのは、主の契約の箱である。彼らは、主の御言葉そのものを担いでいるのであり、人の必要を全て満たして下さる主の約束を担いでいるのであり、死からいのちへと贖いだして下さる主の御約束を担いでいるのだ。絶対に、安全なのである。
私達も、主の御言葉をかつぎ、主の約束を信頼して進み行くなら、その行く先には、祝福しか待っていないなのだ。
神様が指示をされた時、私達には二つに一つの道以外には無い。
それに従順して、祝福を勝ち取るか、それとも、従わないで呪いを受けるか。
主が「行け」と言うなら、行くべきである。それを嫌がった出エジプトの民は、荒野で40年彷徨った挙句、屍と化して、荒野に置いて行かれた。
また、主が「留まれ」と言うなら、留まるべきである。
『「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。かえって、あなたがたは言った、「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。それゆえ、あなたがたはとんで帰る。また言った、「われらは速い馬に乗ろう」と。それゆえ、あなたがたを追う者は速い。ひとりの威嚇によって千人は逃げ、五人の威嚇によってあなたがたは逃げて、その残る者はわずかに/山の頂にある旗ざおのように、丘の上にある旗のようになる。』(イザヤ30:15-17)
また、滅ぼしつくせと言われたものは、滅ぼしつくさなくてはならない。もしそれをしないなら、後に学ぶアカンのように、その人自身が聖絶のものとして、持ち物も家族もろとも滅ぼし尽くされてしまう。
『だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。「もうしばらくすれば、/きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、/わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。』(ヘブル10:35-39)