メッセージ - 信仰の記念碑(ヨシュア記4:11-24)
礼拝説教メッセージ音声:信仰の記念碑(ヨシュア記4:11-24):右クリックで保存
イスラエルの全員がヨルダン川を渡り終え、十二人の代表が記念の石を川底から取りに戻った後、主は、川床に留まっている祭司に上がって来るよう、ヨシュアに指示した。
祭司たちが上がって来ると、川の水は元どおりに、以前のように川岸いっぱいにまでなった。(ヨシュア記4:16-18)
普段は、川岸まで水があふれているはずの川が一時的に枯れ、人が渡れるようになる。
それを、自然現象の一つとして片付ける人もいるが、契約の箱をかつぐ祭司たちが足を踏み入れた途端、水が引き、全イスラエルが渡り終え、十二人の代表も川底まで石を取って戻り、それら全てを終えた後、祭司たちが陸地に上がった途端に、水が元通りに戻るという、この出来事を、単に「起こりうる自然現象」として片付けようとするなら、あまりにも、御業を為して下さった主に対して、失礼というものだ。
主は確かに、自然現象を用いられる。それはそうだ。
なにしろ、川を造られたのも、川が流れる場所を自由に変えるのも、主であるし、それら一切合切を含む全地を創られたのも、主だからだ。
ただ、聖書が明示している事は、主は確かに生きておられ、主に寄り頼む人には、必ず応えて下さり、そして、彼らが主にあって体験する事は、尽く「良い事」であり、自然現象や常識を遥かに超えた、素晴らしい事である。
『民は正月の十日に、ヨルダンから上がってきて、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。そしてヨシュアは、人々がヨルダンから取ってきた十二の石をギルガルに立て、イスラエルの人々に言った』(ヨシュア記4:19-21)
このギルガルは、イスラエル人がヨルダン渡河後に最初に宿営した地で、カナン征服の軍事的根拠地となった。
また、後の時代には、サウル王の軍団が戦いの時に集結する場所となった。
このギルガルの地は、主がヨルダンの水を枯らし、確かにこの地を与えて下さったという、しるしの場所であり、主は必ず守り導いて下さる、という、信仰の拠り所となった場所なのだ。
聖書には、彼らが建てたような”信仰の記念碑”が多く出てくる。
アブラハムは、主があらわれて下さった場所に祭壇を建てたし、ヤコブも、夢の中で主があらわれて下さった場所の枕石を、記念に建てた。
それらは、その人自身にとって信仰のマイルストーンであり、また、子々孫々に対する信仰のあかしでもある。
『「後の日にあなたがたの子どもたちが、その父に『これらの石は、どうしたわけですか』とたずねたならば、『むかしイスラエルがこのヨルダンを、かわいた地にされて渡ったのだ』と言って、その子どもたちに知らせなければならない。すなわちあなたがたの神、主はヨルダンの水を、あなたがたのために干しからして、あなたがたを渡らせてくださった。それはあたかも、あなたがたの神、主が、われわれのために紅海を干しからして、われわれを渡らせてくださったのと同じである。
このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである」。』(ヨシュア記4:21-24)
主が為して下さった素晴らしい御業を、イスラエルの民が忘れないために、十二の記念の石をわざわざ川床へ取って来て、信仰の記念碑を建てるように命じたように、私達も、主が為して下さった御業の数々を忘れないように、記念のしるしを建てて行くべきである。
例えば、主が与えて下さった御言葉の聖書箇所に、その時の年月日と、その時の状況を簡単に書き記すなら、それも立派な信仰の記念となる。
聖書に直接書き込む事を好まない人なら、別途、ノートや日記帳を用意して、主から与えられた御言葉と、その時に主から示された事、勇気づけられた事、必要が満たされたその内容、あるいは戒められた内容などを記すなら、それは、後々に素晴らしい宝となる。
あるいは、その時その時の祈り課題を記し、それが叶えられた次第や、応えられた内容などを記すなら、それは、主との交換日記となる。
それらを後に読み返した時、気付くだろう。主は確かに自分の人生を導き、いつでも共に歩んで下さった事を。
そしてそれは、子々孫々や友人知人に対し、あるいは、自分が経験したのと同じ艱難や誘惑の只中にいる人に対して、素晴らしいあかしが出来るものとなる。
皆さんの人生には、どんな信仰の記念碑が建っているだろうか。