メッセージ - 何のために聖霊を求めるのか(使徒1:8)
何のために聖霊を求めるのか(使徒1:8)
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本日ペンテコステは、イエス・キリストの弟子達が、聖霊に満たされ、力を受けた事を記念する日である。
聖霊が主のしもべにもはしためにも与えられる事は、旧約の預言者達によって預言されており(ヨエル2章)、それを求めるように、また、待ち望むようにと、イエス様も命じられた。(使徒1章、ルカ11:9-13)
聖霊を与えて下さい、聖霊充満を下さい、と求めるクリスチャンは多いが、そもそもなぜ聖霊を求めるべきなのか、いざ聖霊が与えられたら、どうすべきなのかを知らない人が多い。
そこで、私達は何の為に聖霊を求め、その力を何のために用いるべきなのかを、今日、学びたい。
「聖霊があなたがたに降る時、あなたがたは”力”を受け、、、地の果てまでわたしの証人となる」(使徒1:8)
力(デュナミス)。それはダイナマイトの語源で、ダイナマイトのような莫大なパワーを持つものであり、その力が与えられる目的は、地の果てまでイエス様の証人となる事である。
聖霊に満たされた弟子達は、何を伝え、表現したのか。それは始終一貫して、イエス様の事である。
そもそも聖霊は、イエスキリストをあかしする霊である。「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26) 「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。」(1ヨハ4:2-3)
また、誰でも聖霊によるのでなければ、イエスは主であると告白できない。(1コリント12:3)
皆さんは、何のために聖霊を求めているだろうか。
特殊能力が与えられて大活躍したいとか、人の上に立って偉くなりたいとか、エキサイティングでスリリングな人生送りたいとか、そういう動機で聖霊を求めていないだろうか。聖霊が与えられるのは、まさにイエス・キリストをあかしするためであり、イエス様が抜けながら聖霊を求めるのは、全くのお門違いである。
聖霊は、その人を栄光化するのではなく、イエス・キリストを栄光化する霊であり、自分から語るのではなく、父なる神から聞くままを話す(ヨハネ16:13)。この「自分から語るのではなく、聞くままを話す」という特徴は、イエス様の特徴でもあり(ヨハネ12:49、14:10)、聖霊に導かれるキリスト者も、自分由来の事は一切語らず、ただ上から与えられるままに語り、行動する。
弟子達は、ペンテコステ前は自分から語って色々な失敗をした。しかし、ペンテコステ以降は、自分由来の事は一切語らず、ただ聖霊に導かれるままを話した。(使徒4:1-21)
ペテロもパウロも、どの弟子達も、迫害されつつも王や高官達に命がけで伝え、弁明した内容は、イエス様の誕生と生涯、イエス様の人格と品性、イエス様の十字架の死と復活、昇天、そして再臨についてだった。
聖霊が与えられるためには、まず、キリストの証人となる事の願いと情熱が必要である。
聖霊に満たされたいと願う人は、イエス様の誕生を、生涯を、イエス様の人格や品性を、イエス様の十字架を、死を、復活を、昇天を、そして再臨を、余すところなく伝えることができますように、地の果てにまで行けますように、迫害や死をも恐れずに、大胆にキリストの証をさせてください、と、祈るべきなのだ。
『主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。』(使4:29)
また、聖霊は聖なる霊である。自らをきよくする努力をしない者にどうして聖なる霊が宿って下さるだろうか。
『自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。』(ヘブル12:14)
そして、弟子達のように、聖徒達と共に集まり、神の都エルサレム(平和の土台)から離れず、共に熱心に祈って聖霊を求めるのである。それも、求め、探し、叩く気構えで、祈り続けるのだ。
『天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。』(ルカ11:13)
聖霊を求め、それも豊かに与えられ、迫害を恐れず地の果てにまで出て行き、主イエスの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、手で蛇をつかみ、毒を受けても決して害を受けず、病人に手を置いて癒し、イエス様に栄光を大いに捧げる皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!