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メッセージ - 御言葉の剣が立った時(ヨシュア記5:13-15)

御言葉の剣が立った時(ヨシュア記5:13-15)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨシュア記
執筆 : 
pastor 2014-6-11 23:44

礼拝説教メッセージ音声:御言葉の剣が立った時(ヨシュア記5:13-15):右クリックで保存

エリコの城壁は、ヨシュア達を前にそびえ立ち、城門は、彼らに対して固く閉ざされていた。
荒野にそびえ立つこの城壁は、今まで見たことも無いような、強大なものである。
普通に攻め込むとしたら、多くの犠牲が出るだろう。
ヨシュアはこの堅固な城塞都市を見上げて、どうすれば良いか、思い巡らしていたかもしれない。

『ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」。彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」。』(ヨシュア記5:13-14a)
巨大な壁と相対する時、その壁をどうにかする事に頭がいっぱいとなって、何者も「自分の味方か、それとも敵か」に選別し、等級づけし、自分の損得の秤にかけてしまう事がある。
しかし主は、人の自分中心な等級付けに対しては「いや」と応え、ご自分の聖なる立場をお示しになる。

ヨシュアが相対していた相手が、実は主であると分かった時、彼は実に正しい態度を取った。
『ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。』(ヨシュア記5:14a-15)

彼はまず地にひれ伏して拝した。
主と対峙していたのだと気づいた時、御言葉がこう言っていると分かった時に、最も先にすべきは、ひれ伏して自分を低くする事である。
彼は続いて「わが主は」「この僕に」と言って、主従関係を明確にし、そして「何をお言いつけになるのですか」と言って、自分はただ聞く立場、命じられる立場である事を告白したが、これこそ、主を前にした時、御言葉の剣を前にした時に取るべき正しい態度である。

すると主の軍の将は、「あなたの足から履物を脱げ。」と命じる。
私達も、世を渡り歩いて来ると、それまでの経験や思い込み、世の価値観というほこりを、歩むその足に付着させ、世の欲やしがらみといった汚れが、どうしても付着してしまう。
そのような”履物”は脱ぎ捨て去り、同時に、主さえ自分の損得勘定で計算してしまう自分中心の考え方を捨て、主の御言葉に服従する心構えで、御前に出る時、主は、立ちはだかっている城壁を攻略する方法を教えてくださるのである。

御言葉が目の前に立つ時、私達は試される。
『神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。』(ヘブル4:12)
ヨシュアは主の軍の将に「あなたはわれわれにつくのか、それとも敵につくのか」と問うたが、御言葉が私達に示される時、私達の側こそ「あなたは御言葉につくのか、それとも御言葉でないものにつくのか」と迫られるのだ。

主の軍の将から授けられる御言葉は、およそ世の知者には、あまりにナンセンスな内容であり、それを聞かされた時、それでも御言葉に頼るか、それとも、自分の経験や思い込みに頼るかが、試される。
最終的に、ヨシュアは、御言葉の通りに忠実に実行して、大勝利を収めたが、もし、御言葉に従うのではなく、自分の思い込みや経験に、あるいは、手放したくない欲望や不義な事に従うなら、御言葉の剣は逆に自身を滅ぼす剣となってしまう。

私達も、欲望に従って御言葉を乗り越えて行こうとする時、御言葉は、抜身の剣となって立ちはだかる。
かつて、ベオルの子バラムは、イスラエルを呪うよう雇われた時、主は「行ってはならない」と御言葉で示されたのに、それでも不義の報酬を愛た彼は、ろばをけしかけて行き、御使いが抜き身の剣を持って、彼を殺そうと待ち構えた。(民数記22章)
また、ダビデが王国の兵力を知りたいと思った時、ヨアブが「なぜイスラエルに対し罪過ある者となられるのですか」と制止したにもかかわらず、それでも強引に数えた所、主の使いが抜き身の剣を持って立ち、エルサレムに剣を差し伸べ、7万人が疫病に倒れた。(1歴代21:16)
主の御言葉が立ちはだかっているにもかかわらず、不義の報酬を愛したり、神様からの祝福を、あたかも我が物のように数え、御言葉を乗り越えて行くと、主の剣は災いとなって差し伸べられてしまうのだ。

バラムは、ろばによっていのち拾いをしたにもかかわらず、それでも不義の報酬を愛し、イスラエルの人々の前につまずきの石を置き、不品行を行なわせた結果、kれは剣で倒された。(ヨシュア13:22)
それに対し、ダビデは、すぐに悔い改めたため、御使いが剣を持って立ったその場所は、後に神殿となった。

皆さんは御言葉を前に、ヨシュアのように初めから御言葉に従うだろうか。
それともダビデのように一度逆らって悔い改めるだろうか。
それともバラムのように、御言葉の剣が立っても敢えてそれを乗り越え、自ら剣に倒されに行くだろうか。

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