メッセージ - 狭くなっていく罪の報いの当選範囲(ヨシュア記7:16-18)
礼拝説教メッセージ音声:狭くなっていく罪の報いの当選範囲(ヨシュア記7:16-18):右クリックで保存
『こうしてヨシュアは朝早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させたところ、ユダの部族がくじに当り、ユダのもろもろの氏族を進み出させたところ、ゼラびとの氏族が、くじに当った。ゼラびとの氏族を家族ごとに進み出させたところ、ザブデの家族が、くじに当った。ザブデの家族を男ひとりびとり進み出させたところ、アカンがくじに当った。アカンはユダの部族のうちの、ゼラの子、ザブデの子なるカルミの子である。』(ヨシュア記7:16-18)
罪を示すくじの当選範囲は、どんどんアカンに対して狭まっていき、ついには当選してしまった。
人はみな、等しく、神の御前に罪を犯し、いずれはその罪の刈り取りをしなくてはならない。
人は生きる中で罪を重ねて行き、その実を刈り取る当選日はどんどん近くなっていくが、その前に、主イエス・キリストが私達の罪の身代わりとなって死んで下さった事を信じ、この方を救い主として受け入れるなら、救われる。そして、罪の報いである永遠の死を免れる。
しかし、いつまでも罪の内に歩む事を離れず、悔い改めを先延ばしにして行くなら、やがて”当選”してしまい、その時、罪の支払う報酬を受け取らなくてはならない。
『罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。』(ローマ6:23)
その”くじ”の当選が、早ければ早い人ほど、罪深い、というものではない。
悔い改めない者は、皆、同じように滅びるのだ。
『それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。』(ルカ13:2-5)
異邦人の地ガリラヤは、エルサレムの住人よりも罪深い者とされていたが、どこに住んでいようと、どの国の人であろうと、悔い改めないなら、等しく滅びてしまうのだ。
イエス様は、これに続いて、次のたとえ話をしている。
『ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。』(ルカ13:6-9)
園丁は、実を結ばないいちじくのために、執り成した。あと一年猶予を下さい、肥料をやって様子をみてみましょう、それで実を結ぶかもしれません、と。
私達を執り成して弁護して下さるお方がある。聖霊である。
『御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。』(ローマ8:26-27)
全ての人には、悔い改めるための猶予期間が与えられている。
今こうして生きている期間こそ、恵みの時、憐れみの時なのだ。
しかし、聖霊の執り成しを無視し、罪を犯してもいつまでも許されると思って、悔い改めにふさわしい実を結ばないとしたら、いつ切り倒されても止むをえない。
『だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」。 』(ルカ3:8-9)
『人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。』(ヨハネ15:6)
悔い改めとは口先だけのものにあらず、実という実体を伴ったものなのだ。
滅ぼし尽くすべき聖絶のものを持っていたアカンは、罪を示す”くじ”の当選範囲が、自分に向かって狭められて来るのが、気が気でなかったろう。
しかしそれでも彼は、最後の最後まで名乗り出る事も手放すこともせず、いよいよくじが当たって、罪が暴かれてしまった。
多くの人は、罪の刈り取り、すなわち、滅びというくじの当選が回ってくるのを、何となく恐れてはいても、罪の飲み食いを止めないで生きている。
”当選”が来る前に、悔い改めて、救われるための手続きを取るべきである。
悔い改めの手続きとは、自分が罪人であり救われる必要がある事を認め、イエス・キリストを全ての事から救って下さる救い主である事を信じ、受け入れる事なのだ。