メッセージ - ニムロデ − 神に敵対する狩猟者(創世記11:1-9)
ニムロデ − 神に敵対する狩猟者(創世記11:1-9)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
洪水以降、聖書はセムの家系を中心に展開されて行く。ノアの長子・セムの子孫から、全人類の霊的長子であるイスラエル民族が生まれ、さらに、全て信じて救われる者達の長子・イエスキリストが現れるのだ。
そのセムの系図の間に、人類にとって重要なバベルの塔の事件が挿入されている。
この事件の故に、人の言葉は混乱させられ、一処に集まろうとしていた人は、全地へと散って行った。
このバベルの事件の立役者は、ハムの孫・ニムロデ(名前の意味:反逆者)である。
『このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。』(創世記10:8-10)
聖書では、他の生物を思うままに狩って食する狩猟者は、良い者ではない。イシュマエルも、エサウも、狩猟者だった。しかもニムロデは、主の「前に(パウニム: 敵対して)」、力ある狩猟者だった。
彼の性質は、力で人々の上に登りつめ、平和に暮らしている他の生物を狩って食いものにする狩猟者であり、主の前に敵対的に立つ者であった。彼が建造しようとしたバベルの塔は、どのようなものであったか。
セムの子孫達は、東の高原地帯を定住地としていた。(創10:30) しかし彼らは東のほうから移動して来て、ハムの子孫達が住んでいるシヌアルの地に定住した。シヌアル(追放する、撒き散らす)の地は、メソポタミア平原、すなわち後のバビロン、今のイラク地方に位置するが、この地は代々、神の民を誘惑し(ヨシュア7:21)、神の国のものを奪って来(ダニエル1:2)、罪悪が安置される所(ゼカリヤ5:11)である。
『彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。』(創世記11:3-4)
神に従う一族が、自分の所を出て、神に敵対する者達の力や知恵に魅了され、思想を一致させ、結託してしまうと、良くない事が起きる。ちょうど洪水前に、神の子達が人の女の美しさに魅了されて結婚したように、また、ロトがソドムやゴモラの地方にいざなわれて行ったように。
彼らは「全地に散らされる事を免れよう」としたが、それは「地に満ちよ」というノアへの祝福に反する。
また、神を脇に置いて「名を上げよう」という欲求は、まさにサタンの欲求である。サタンは、真に高められるべき神を差し置いて、自らが高い所に座をしめようとした結果、地に投げ落とされた。(イザヤ14:12-15)
人は高い建造物を作りたがるが、その背後には、自らが高くなりたいという高慢の他、洪水などの神の罰に対抗したい、という思いもあるのだろう。
かつて不従順のために洪水が起こった、だから神に従順しよう、という発想にはならず、だから高い建造物を造って対抗しよう、という発想になるのは、神に従順するのが嫌な者の思考パターンである。
『民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事も「とどめ得ない(バウツァー:restain、抑制が効かない)」であろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう。』(創世記11:5-7)
人が思いと心を一致させ、何事かに突き進む時、抑制が効かなくなる。
特に、欲望に従って突き進む、あるいは神に敵対して進む結果、人は、滅びを刈り取ってしまう。ちょうど、ノアの時のように。人は再びその過ちを繰り返そうとしたのだ。神はそれを防ごうとされたのだ。
神を離れて高ぶろうと結託する結果、もたらされるものは、混乱(バラル=バベルの語源)である。
人が、ニムロデのように力づくで他を支配し、神の座につこうと高慢になる時、そこには混乱があり、一人の人間の元に一団となって神に敵対するなら、神が直接介入し、その者どもを滅ぼされる。(黙示録20章)
神は混乱の神ではなく、平和の神である。(1コリント14:33) 人が神に服従し、神の栄光を伝えようとする時、聖霊が働いて下さり、言葉の混乱はなくなる。ペンテコステの時まさにそれが起きた。(使徒2章)
私達が一つとなる事ができるのは、ただキリスト・イエスによるのみである。(コロサイ3:9-11)
人の力づくによってではなく、主義主張やイデオロギーによるのでもなく、ただイエスというお方にあって一つとなる皆さんであるように、イエスの名によって祝福します!