メッセージ - 見えるものの罠(伝道者の書6:8-12)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
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【概要】
ソロモンの愚かさを例に、目に見えるものではなく、見えない永遠の価値を求めることの重要性を説く。
【聖書箇所】
伝道者の書6:8-12、箴言1:7、ヘブル11:1、第二コリント4:16-18、マタイ7:24-27
【戒めの言葉】
目に見える一時的なものではなく、見えない永遠のものに価値を置くべきである。
【勧めの言葉】
御言葉を信じて実践し、内なる人を日々新たにしていくべきである。
【***詳細***】
今日、私たちが学ぶ御言葉は、伝道者の書6章8節から12節です。ここでソロモンは驚くべき言葉を語っています。「知恵あるものは愚かなものより何が勝っていよう」と。かつて知恵の王と呼ばれたソロモンが、なぜこのような言葉を発するに至ったのでしょうか。
箴言1章7節には「主を恐れることは知識の初めである」と書かれています。ソロモンは若い頃、この真理を理解し、多くの知恵の言葉を残しました。しかし、彼は後年、愚かさを身につけようとしてしまいました。
伝道者の書2章3節で彼はこう語っています。「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、体は葡萄酒で元気づけようと考えた」。ソロモンは知恵を持ちながらも、一時的な快楽を求めてしまったのです。
私たちもソロモンと同じ過ちを犯す危険性があります。どんなに知恵があっても、それを正しく用いなければ意味がありません。むしろ、御言葉による知恵を学び、それを実践することが重要です。
イエス様はマタイ7章24-27節で、御言葉を聞いて行う人は岩の上に家を建てた賢い人のようであり、聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てた愚かな人のようだと教えられました。私たちは単に知識を得るだけでなく、それを信仰によって実践しなければなりません。
伝道者の書6章9節には「目が見るところは心が憧れるところに勝る」とあります。しかし、私たちクリスチャンは違う視点を持つべきです。ヘブル11章1節にあるように、「信仰は、望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるもの」なのです。
第二コリント4章16-18節で使徒パウロは、「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」と語っています。私たちの外なる人は衰えていきますが、内なる人は日々新たにされるのです。
ソロモンは目に見える華やかさ、愚かさ、葡萄酒、美味しい食事、奴隷、歌い手、多くの妻たちなど、一時的なものに捕らわれてしまいました。しかし、私たちは目に見えない御言葉によって養われるべきです。なぜなら、見えないもののうちに永遠があるからです。
伝道者の書6章10節は、「今あるものは何であるか、すでにその名がつけられ、また彼がどんな人であるかも知られている」と語っています。私たちが見るものすべてに名前が付けられていますが、それらは人間が名付ける遥か前から存在していました。それは見えない創造主である神が造られたからです。
私たちは、この創造主である神を礼拝し、御言葉を大切にしなければなりません。神を差し置いて、目の前にある一時的なものだけを重視することは、何の益ももたらしません。
11節と12節で、ソロモンは人生の虚しさについて語っています。しかし、私たちクリスチャンは、この世の虚しさを超えた永遠の希望を持っています。私たちは御国の言葉を信仰をもって語り、実りある人生を送るべきです。
【結論】
私たちは、ソロモンの過ちから学び、目に見える一時的なものではなく、見えない永遠のものに価値を置くべきです。御言葉を信じ、実践し、内なる人を日々新たにしていきましょう。そうすることで、私たちは真の知恵を得、神の栄光を現す人生を送ることができるのです。