メッセージ - 宇宙をも動かしたヨシュアの祈り(ヨシュア記10:8-15)
礼拝説教メッセージ音声:宇宙をも動かしたヨシュアの祈り(ヨシュア記10:8-15):右クリックで保存
ヨシュア達からすれば、気乗りしない戦いだったかもしれないが、それでも、彼らが主の前に立てた誓いの故に行動を起こした時、主は言葉をかけて下さった。
『その時、主はヨシュアに言われた、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手にわたしたからである。彼らのうちには、あなたに当ることのできるものは、ひとりもないであろう」。』(ヨシュア記10:8)
人が主に対して忠実に行動するなら、主はそれを全面的にバックアップして下さる。
それも、人々があっと驚くような形で。
『ヨシュアは、ギルガルから、よもすがら進みのぼって、にわかに彼らに攻めよせたところ、主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてさせられたので、イスラエルはギベオンで彼らをおびただしく撃ち殺し、ベテホロンの上り坂をとおって逃げる彼らを、アゼカとマッケダまで追撃した。
彼らがイスラエルの前から逃げ走って、ベテホロンの下り坂をおりていた時、主は天から彼らの上に大石を降らし、アゼカにいたるまでもそうされたので、多くの人々が死んだ。イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった。』(ヨシュア記10:9-11)
イスラエル人達が夜通しギブオンまで急行した所、主ご自身が戦って下さった。
天から雹の石を降らせる事によって。
しかも、イスラエルの人達が倒した数より、雹で打たれて死んだ数の方が多かったのだ。
あまりに出来過ぎた話であり、人はこれを「うそだ」とか「たまたまだ」と言うかもしれないが、主は、主に信頼して御言葉に従って歩む人には、自然現象を通しても、あるいは自然を超越した現象を通しても、働かれるのだ。
『主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、/「日よ、ギベオンの上にとどまれ、/月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。民がその敵を撃ち破るまで、/日はとどまり、/月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。』(ヨシュア記10:12-14)
これは、聖書の中でも、最も大いなる奇跡ランキングのトップスリーに、紛れも無く入る出来事だろう。
日が沈まずにそのまま留まる、という事は、その時だけ地球の自転が停止したか、地軸が傾いて白夜のようになったか、とにかく、宇宙規模の何かが起こったわけである。
実は、この出来事は、NASAの科学者達によって、実証されている。
人工衛星を打ち上げるにあたり、過去や未来の太陽・月・惑星などの位置を計算するのだが、太陽や地球が一日の例外もなく、普通に回って来た事を前提として計算すると、どうしても、計算が合わなくなってしまうのだ。
そこで、科学者の一人が、聖書の中のこのヨシュア記から、一日太陽が沈まなかったという記述を発見して、一日太陽と月の動きが止まった事を計算に入れた所、計算結果はかなり精度が良くなったという。
しかし、まだ誤差があって、計算が合わない。
そこで、さらに聖書の記述を調べた所、ヒゼキヤの時代に、神がヒゼキヤの祈りを聞いて日時計が10度傾いた記述(2列王記20:9-11)も発見し、それも計算に代入した所、全てのつじつまがぴったり合ったというのだ。
一人の人の祈りが、地球を動かす。人はそれを到底信じられないかもしれない。
しかし神様は、人が御心に適った祈りをするなら、いかに地球を動かすような宇宙規模の内容であれ、聞いて下さるのだ。
それはひとえに、主が栄光をあらわすためである。
なぜなら、全被造物は、主の栄光のために創られているからだ。
『日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。・・・火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ、・・・彼らをして主のみ名をほめたたえさせよ。そのみ名は高く、たぐいなく、その栄光は地と天の上にあるからである。』(詩篇148編)
私達は、太陽や月が明日も必ず上って沈む事を、何の疑いもなく信じているが、よくよく考えると、それも不思議だとは思わないだろうか。
何万年、何億年と、太陽や月が毎日、たがわず律儀に上ったり沈んだりして来たのだ。しかも、たった2回の例外を除いて。
それも、それらの例外は、ちょうどヨシュアの軍団にとって都合よく、神の民の敵に対して都合悪いタイミングに。また、ちょうどヒゼキヤが祈り願ったタイミングに。
実に不思議であるが、もっともっと不思議な事は、この地球や太陽を含む森羅万象の源であられ、それら全てを支配しておられるイエス・キリストが、こんなちっぽけな私達の内に、宿っておられる事だろう。
『その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。』(ヨハネ14:20-21)