メッセージ - 繊細かつ圧倒的に(ヨハネ21:1-14)
礼拝説教メッセージ音声:繊細かつ圧倒的に(ヨハネ21:1-14):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
弟子達にとっての福音の働きの原点は、イエス様の言葉どおり行動したら、自分の経験や努力などあざ笑うかのような大漁であった出来事と、「人間を獲る漁師にしてあげよう」というイエス様の言葉であった。
十字架の復活の後のイエス様から、息を吹きかけられ、聖霊を受け、権威が与えられ、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」とイエス様に言われていた。
しかしそのうち彼らが始めたのは、イエス様と出会う前にしていた仕事、「漁」であった。
漁に出た日、元漁師が少なくとも三人いたのに、夜通し働いても何も獲れなかった。
そんな時、イエス様は現れ、声をかけて下さった。
「幼子達よ、パンと一緒に食べるさかなが無いのだろう。」
この「さかな」は、原語的にはパンと一緒に食べる副食物の事である。
イエス様はパンだけを食べるには口が寂しいから、漁をしているのだろう、と声をかけ、弟子達はそれがイエス様かどうか知らないまま「ええ。」と答える。
イエス様は「舟の右側に網をおろしなさい」と言い、その言葉通りに弟子達がすると、網もやぶれんばかりの多くの魚がかかった。
弟子達は、彼らの福音の働きの原点を思い出し、そしてその声の主は主だと気付いた。
この場面においてイエス様の示された、ご自身のご性質とは。
「人が何年もかけて培ってきたプロフェッショナリティを遥かに越える力を静かに示し、生活に必要なものを溢れるばかりに与えてくださる」という性質である。
彼らが漁をしていた理由は、単にパンに添えるわずかな魚がその時欲しかっただけかもしれないし、あるいは、本格的に元の職業に戻ろうと、プロとして漁をしていたのか、分からない。
どちらにせよ、彼らが御声に従って引き揚げたのは、153匹の大きな魚という圧倒的な結果であり、それでも網は破けず、船も沈まなかった。
復活の後のイエス様の現れ方は直接的な言葉ではなく、静かに、繊細に、ご自身のご性質を現される。
主はかつて、5千人を満たした時、何籠パンが余ったか、4千人を満たした時、何籠パンが余ったかを思い出して見よ、日々食べるものについては心配しなくても良い、と言われた。
この湖の場面においても、「わたしがイエスだ」とか「なぜ人間を獲る漁師ではなく魚を獲る漁師をしているのだ」となじる事はされなかった。
春から初夏にかけての寒い夜、一晩中網を打っても一匹も取れなかった状態だった彼らを、イエス様は暖かい炭火をおこし、パンと魚を焼いて、こおばしい香りを漂わせて迎えていた。
主は「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われ、主のアドバイスに従って彼らが獲る事の出来た魚を用い、焼かれた。
主のこの一連の振る舞いは、どんなに心がほぐれる事だろう。
主はこのように、お腹を満たし、肉的な必要を満たし、心を開かせて下さる。
生活の必要は圧倒的に満たされ、その上で福音の仕事が存分にできる皆さんでありますように、イエス様の名前によって祝福します!