メッセージ - 人の兵器を打ち壊される主(ヨシュア記11:1-9)
礼拝説教メッセージ音声:人の兵器を打ち壊される主(ヨシュア記11:1-9):右クリックで保存
ヨシュア率いるイスラエルによって、死海西岸地域がほぼ制圧された事が、周辺地域に知れ渡った。
『ハゾルの王ヤビンは、これを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、およびアクサフの王、また北の山地、キンネロテの南のアラバ、平地、西の方のドルの高地におる王たち、すなわち、東西のカナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、山地のエブスびと、ミヅパの地にあるヘルモンのふもとのヒビびとに使者をつかわした。そして彼らは、そのすべての軍勢を率いて出てきた。その大軍は浜べの砂のように数多く、馬と戦車も、ひじょうに多かった。』(ヨシュア記11:1-4)
ハゾル(ハツォル)は、ガリラヤ湖より北側の都市である。
10章は、死海の西から南西地域にかけての戦いの記録であったが、この11章は、そこからさらに北方での戦いの記録である。
「その大軍は浜べの砂のように数多く、馬と戦車も、ひじょうに多かった。」と記されているからには、敵は、装備も数もかなり揃えて、イスラエルに攻めて来たのだろう。
装備と数だけを見るならば、イスラエルは圧倒的に不利に見えたかもしれないが、主は再びヨシュアを励まして下さる。
『「彼らのゆえに恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らを皆イスラエルに渡して、ことごとく殺させるであろう。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼かなければならない」。そこでヨシュアは、すべてのいくさびとを率いて、にわかにメロムの水のほとりにおし寄せ、彼らを襲った。主は彼らをイスラエルの手に渡されたので、これを撃ち破り、大シドンおよびミスレポテ・マイムまで、これを追撃し、東の方では、ミヅパの谷まで彼らを追い、ついにひとりも残さず撃ちとった。』(ヨシュア記11:6-8)
主は今回、”いつ”までに敵を渡されるかは示されたものの、アイの時のように”方法”は示されなかった。
しかしヨシュア達はすぐさま、敵を打ち破るために、普通に出て行った。
今回の戦いでは、主が特に奇跡的な事を起こされた記述は無いが、それでも彼らは大勝利を収めた。
人は何かと、自分でプランを立て、その計画どおりに進む生き方に慣れているため、”方法”を知りたがるものであり、また、前回は主は雹を降らせて下さったから、今回もそうして下さい、と、過去に主がして下さった事を期待しがちであるが、主の方法は人の思い計りに囚われるお方ではないし、ワンパターンなお方でもない。
主は、主の御声に聞き従う人には、どんな方法であっても勝利させて下さるのである。
『ヨシュアは主が命じられたとおりに彼らに行い、彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼いた。』(ヨシュア記11:9)
これもまた不思議な命令に見えるかもしれないが、主は、馬の力を喜ばず(詩篇147:10-11)、戦車や軍馬のような、人を攻撃し殺めるような”兵器”を喜ばれない。
今までカナンの地で人々を蹂躙して来た馬や戦車などは、この地にはもう必要ない物であり、これからは、そうした兵器に頼るのでなく、ただ主にのみ頼って生きるのが、この”約束の地”での生き方ある。
主の救いは、馬や兵器によるものではなく、むしろ、ひとりのみどりごによって、もたらされるのだ。
『すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。』(イザヤ9:5-)
主は、人々が編み出した兵器を火の中に投げ込み、人々の罪や傲慢の結果である悲惨を打ち壊し、人の目から涙をすっかり拭い去って下さり、とこしえにダビデの王座について、平和の統治をして下さるのだ。