メッセージ - 人の愚かさに目を留める事の愚かさ(伝道者の書7:21-25)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
人の愚かさに目を留める事の愚かさ(伝道者の書7:21-25):右クリックで保存
【概要】
人の愚かさを見つめるのではなく、神の真実と愛に目を向けることの大切さを説く。
【聖書箇所】
伝道者の書7章21-25節
コリント人への手紙第一13章4-7節
【戒めの言葉】
人の語る言葉にいちいち心を止めてはならない。
【勧めの言葉】
神の真実と愛にのみ目を向け、それを見つめ続けることで、人の愚かさに対する正しい対処が身につく。
【***詳細***】
今日の箇所は、伝道者の書7章21-25節です。
「人の語る言葉にいちいち心を止めてはならない。あなたの下僕があなたを呪うのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度も呪ったことを知っているからだ。私はこれらの一切の知恵によって試み、そして言った。『私は知恵あるものになりたい』と。しかし、それは私の遠く及ばないことだった。今あることは、遠くて非常に深い。誰がそれを見極めることができよう。私は心を転じて、知恵と道理を学び、探り出し、探し求めた。私は、愚かな者の悪行と、狂った者の愚かさを、学び取ろうとした。」
人には何も、人を見つめても、何も良いものは見つかりません。ただ、愚かさと悪行とが目につくばかりです。そして神にこそ目を向けるとき、私たちは平安が与えられ、また清められ、有益なものになっていきます。
人のことをじっと見つめると、人の悪い点ばかり目についてしまうものです。なぜなら、人はすべて不完全であり、罪を負うものだからです。そしてある程度の愚かさがあるからです。人のことをじっと目を凝らして、どこかに間違いがないかと探すとき、まず自分自身がそのように目を凝らして、自分自身が良くないことをしていることにまず気づくべきです。そしてそのようなことをしていると、自分自身がどんどん汚れていってしまいます。
ソロモンは、「私は知恵あるものになりたい」と求めておりました。しかし、それは彼の遠く及ばないことだったと書いております。ソロモンは、人類史上誰よりも知恵あるものとなることはできたのですが、でもそれでも、それは彼の遠く及ばないことだったと言っています。
ソロモンは、良いことも悪いことも、低めて全部、何でもかんでも、知恵を持って見極めようとしました。この世界の知恵。そして、ソロモンは非常に造詣が深かったのです。岩とか鉱物とか、またそれに入る動物の類から、全ての種類の生き物や、また物、それら全てについて知識が深かったのです。またそればかりでなく、正しく裁判をすることにおいても知恵が深かったのですが、同時に人の愚かさもまた、よく知ろうとしたのです。
ここに過ちの原因があります。「愚かな者の悪行と、狂った者の愚かさを学び取ろうとした。」これが、ソロモンが間違いに陥った、そもそもの原因です。愚かな者の悪行をつぶさに見て、じっと見て、調査して、それを分析して、この人はこれこれ、そういう風に見定めようとしたのです。
現在を生きる私たちも、誰か人のことをじっと見つめて、この人の愚かさを学び取ろうとすると、その人自身が愚かになってしまうのです。人間というのは、人間の愚かさ、他人の愚かさ、また罪に対して無防備なのです。何の力もありません。
ソロモンは知恵ある者になりたいと願いました。しかしそれは、彼の遠く及ばないことだったと言っております。それは、人は有限な存在だからです。他人の愚かさを見極めようとしても、見極めようとしたらどうしても嫌な気分が湧いて出てしまう。嫌な感覚になってしまう。
では、知恵を身につけるためにはどうすればよいのでしょうか。人の愚かさに対抗するために、人の愚かさをじっと見て分析することは最も良くない方法です。むしろ私たちが身につけるべきは、人の愚かさではなく、神の真実です。神の真実にのみ目を向けてじっと見つめているならば、人の愚かさに対する対処も自然と身についてくるのです。
偽札捜査官の例を考えてみましょう。彼らは偽札を見極めるために、膨大な量の偽札を調べたりはしません。むしろ本物だけをじっくりと見つめるのです。本物だけをじっくりと、手にとって、手触りを感じ、色を見極め、その細部まで観察します。本物ばかりをじっくりと見つめることで、偽物が来た時にすぐにわかるのです。
私たちも同じです。聖書という本物をじっくりと見つめ、味わい、その一節一節に隠されている思いや感情を読み取ろうとすることが大切です。神様はどんな思いを私たちに込めておられるのか、どんなことを今日私に示しておられるのかを考えながら、じっくりと一節一節を見ていくうちに命が増え、広がっていくのです。そして、本物の感覚を身につけていくのです。
人の愚かさが来た時、それに心を乱されるのではなく、イエス様がどのようなお方であったのかに目を向けるべきです。イエス様は罪人の悪行をしのばれました。罵られても罵り返さず、ただすべて正当に裁いてくださる主にお委ねしました。
コリント人への手紙第一13章4-7節を見てみましょう。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」
これが愛の性質です。私たちがもし知恵あるものになりたいと思うのであれば、ソロモンのように愚かさを身につけようとするのではなく、この愛を求めるべきです。
【結論】
人の愚かさや悪行に目を留めるのではなく、神の真実と完全なる愛に目を向けましょう。そうすることで、私たち自身が汚れから離れ、主の真実に向かって進み、ますます主イエス様の姿へと作り変えられていくのです。