メッセージ - 45年憧れ続けた地を得たカレブ(ヨシュア記14:6-15)
礼拝説教メッセージ音声:45年憧れ続けた地を得たカレブ(ヨシュア記14:6-15):右クリックで保存
14章後半は、ユダ族がヘブロンの地を勝ち得た際の逸話が記されている。
『時に、ユダの人々がギルガルのヨシュアの所にきて、ケニズびとエフンネの子カレブが、ヨシュアに言った、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとについて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。』(ヨシュア記14:6)
カレブを覚えているだろうか。
彼はこの45年前の若かりし頃、ヨシュアと共に12人の斥候の一人としてカデシュ・バルネアから遣わされ、彼らが今いるこのカナンの地を偵察し、信仰をもって「是非とも攻め入るべきだ」とモーセとイスラエルの民に進言した者である。
彼も、確かにその地に住む民が強いのを見た。
町々は堅固で大きく、アナクの子孫がいるのも、カレブは見たが、主が共におられるなら、そんなものは恐れる必要はなく、むしろ、その者共はえじきとなって、自分達はこの素晴らしい乳と蜜の流れている良き地を受け継ぐことが出来るのだ、と、ヨシュアと共に胸躍ったものだ。
『そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。』(民数記13:30)
ところが、カレブがこの地を勝ち得るまでに、あと45年も待たねばならなかった。
それは、民の不信仰の故である。
45年前、他の民は、この地の住人は強いという報告を聞いて、弱気になってしまった。
『「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。』(民数記14:3-4)
モーセとアロンは、イスラエル六十万全部が、なし崩し的に弱気へと、不信仰へと落ち込んで行くのを見て、ひれ伏して主に執り成し、ヨシュアとカレブは、なお必死に説得し訴えたが、民は彼らを石打にしようとした。
その時、主の臨在が現れ、介入が入り、その地について悪く言いふらした者達は主に打たれ、不信仰に陥った民六十万には、約束の地には入れず、荒野で死んでしまう事と、40年で荒野の放浪とが確定してしまった。
しかし、信仰を貫き通したカレブは、その地を継ぐ事ができると、約束された。
『わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた地に彼を導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう。』(民数記14:22-24)
あれから45年経、85歳になったカレブは、40歳の当時と変わらぬ生気と力を湛えてヨシュアの前に現れた。
『主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに八十五歳ですが、今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。』(ヨシュア記14:10)
主に信頼し、主と共に歩む者は、わしのように若々しく、新たにされるのだ。(詩篇103:5、イザヤ40:31)
私達の信仰の父であるアブラハムも、100歳の時に子が生まれたし、また、私達の信仰の母であるサラも、90歳の時に子を産む力が与えられ、異邦の王アビメレクに召し入れられてしまう程に美貌も取り戻した。
モーセが主に召しだされたのも、80歳の時で、彼は120歳まで目がかすまず、気力も衰えなかった。
天声の聖徒の中にも、以前より若々しくなった姉妹達もいるし、白髪が後退して黒髪になった聖徒も、髪の毛が増えた聖徒もいる。
『それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。・・・主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう。』(ヨシュア記14:12)
カレブは、45年間、ずっと憧れて来たあの山地を、今こそ下さい、と、ヨシュアに願い出た。
『そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた。』(同13節)
ヨシュアはそれを祝福し(ほめ称え)、そこを彼のものであると、宣言した。
ヨシュアが宣言した時点で、ヘブロンのアナク人が一斉に倒れた訳ではない。
カレブはその言葉を頂いたら、実際に行動したのだ。
武装し、信仰をもってその地へと出向いて、アナク人を追い払い、勝利したのだ。
キリストにある神の聖徒が、この地上で主イエスの名によって宣言した事は、天においても繋がれており(マタイ18:18)、その宣言された真理を実体化するためには、信仰に基づく行動が必要なのだ。
『こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に至っている。彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。ヘブロンの名は、もとはキリアテ・アルバといった。アルバは、アナキびとのうちの、最も大いなる人であった。こうしてこの地に戦争はやんだ。』(ヨシュア記14:14-15)
主の約束を信じて行動するなら、いかに85歳の老人であっても、2〜3メートル級の巨人の軍隊を相手に戦って勝利し、いかに紅顔の少年であっても、3メートル近いゴリアテを相手に、石一つで勝利するのだ。
『神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。』(詩篇18:32-34)
『わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。』(ピリピ4:13)
主は、信じて行動する私達には、鷲のように若くして下さり、青銅の弓をも引く力も与え、サラのように、女としての力と美貌を与えて下さる事のできるお方なのだ。