メッセージ - 多くを勝ち得たユダ族(ヨシュア記15:1-63)
礼拝説教メッセージ音声:多くを勝ち得たユダ族(ヨシュア記15:1-63):右クリックで保存
ヨシュア記中、もっとも節数の多い15章は、ユダ族への相続地の明細である。
1-12節には相続地の範囲が、13-19節にはカレブとオテニエルについての挿話が、20節から63節までは、勝ち得た町々・村々のリストが記されており、その100を超える地名のリストが延々と続くので、読むのも一苦労だが、それだけユダ族は多くの戦いを積極的に仕掛け、勝ち得たリストを読み上げるのが大変な程、分捕って来たわけである。
ユダ族が積極的に多くを勝ち取って行くの様は、彼らの父祖・ヤコブが預言した通りである。
『ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え、/父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、/雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。』(創世記49:8-10)
ユダ族を、このように獅子のように攻め入って勝ち取るよう導いたのは、カレブである。
カレブは、45年来憧れてきた領地をヨシュアに求め、彼が信じた通りに見事勝ち取り、アブラハムゆかりの良き地・ヘブロンを得たが、その地へと侵入した彼は、さらに他をけしかけて、積極的に分捕るスピリットを奮い立たせている。
『カレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。ケナズの子で、カレブの弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、妻として彼に与えた。』(ヨシュア記15:16)
ここでオテニエルは、単にその地を勝ち取ってカレブの娘を得たばかりではない。
彼はさらにカレブの娘をけしかけ、さらに求めている。
『彼女がとつぐ時、畑を父に求めるようにと、オテニエルに勧められた。そして彼女が、ろばから降りたので、カレブは彼女に、何を望むのかとたずねた。彼女は答えて言った、「わたしに贈り物をください。あなたはネゲブの地に、わたしをやられるのですから、泉をもください」。カレブは彼女に上の泉と下の泉とを与えた。』(ヨシュア記15:18)
ここでオテニエルが彼女に求めさせたのは、「畑(KJV: a field、一つの畑)」であったが、彼女は、一つの畑どころか、「泉(KJV: springs of water:数々の泉)」を父カレブに求め、そうして見事、上の泉と下の泉とを彼らは得た。
世の滅ぼし尽くすべき物をむさぼったり、手に入れてはならない隣人の物をほしがる事は、律法で禁じられているが、私達は御言葉につながっているなら、御言葉が約束している祝福を求めるべきであり、また、主が与えると約束して下さったものは、どんどん求めて良いのである。
『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。』(ヨハネ15:7)
ユダ族は、次の御言葉をよく体現した一族であると言えるだろう。
『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
現代を生きる私達も、同じである。
天の御国の良きものは、ユダ族のように、激しく襲って奪う者にこそ、沢山与えられるのだ。
主は、地上のものや、罪深きものを貪欲に追求する事を、忌み嫌われる。
しかし、神の国の事柄に関しては、大いに主に求め続けるよう、聖書では推奨されている。
『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。・・・このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。』(マタイ7:7-11)
『イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。』(ルカ18:1-8)
ヨシュア記のこの章の、分捕った地のリストを全部読み上げるのは、ちょっと大変であるが、私達もユダ族のように、積極的に主に求め、勝ち取り、得たもののリストを読み上げるのが少し大変になる程、多くを勝ち得たいものである。