メッセージ - いつまで行かないのか(ヨシュア記18:1-10)
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『イスラエルの人々の全会衆は、その地を征服したので、シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。』(ヨシュア記18:1)
シロという場所は、イスラエル全領土のほぼ真ん中、エフライムの相続地の中に位置し、ここに会見の天幕が設置されて以降、ダビデの時代までそこは人々がいけにえを捧げに来る礼拝の場所となった。
ヨシュアはそこで、イスラエル全体を呼び寄せ全体会議を開いた。
『その時、イスラエルの人々のうちに、まだ嗣業を分かち取らない部族が、七つ残っていたので、ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたは、先祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか。』(ヨシュア記18:2-3)
カナンの相続地は、順番待ちして得る類のものではなく、積極的に進み行く人が、早い順に獲得するものである。
事実、ルベンやガド、マナセの半部族は、早期に求めたために早く得たし、また、ユダ族やヨセフ族は、積極的に攻め行ったために、広く良い地を得た。
これら五部族が、先に占拠してしまったから、もう残りは無かった、というものでもない。
なにしろ、主がアブラハムに約束された土地は、「エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。」(創世記15:18)という、広大な地である。
だから、もしこれら七部族が、ユダ族達のように積極的に攻め行っていたなら、聖書の巻末等にあるイスラエル十二部族の相続地図は、もっともっと広いものとなっていただろう。
しかしこの七部族は、ヨシュアが老年になったこの時まで、ずっと手をこまねいて、獲得しに行かなかった。
だからヨシュアは「主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのか」と叱責したのだ。
キリスト者の中にも、天の御国の働きのために、積極的に自ら動いて働く聖徒もおれば、自分の手は動かさず、ただ他の兄弟姉妹が働いて得た恩恵に乗っかるのみの人もいる。
しかし自分の手を動かさない者は、着実に貧しくなって行き、努めて働く人は、確かな報いを主から得られる。(箴言10:4)
『なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、”自分の行ったことに応じて”、それぞれ報いを受けねばならないからである。』(2コリント5:10)
私達は、少しでもラクしようと考えたり、いかに手を動かさないかを思案したりするような、”けち”な考えではなく、むしろ、ユダ族やマナセ族のように積極的に多くを勝ち取り、得たものは気前よく他の聖徒達に引き継がせ、さらに積極的に勝ち得て行くものでありたい。
『人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。 あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。 』(エペソ6:6-8)
『見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。 』(黙示録22:12)