メッセージ - ベニヤミン族に割り当てられた領地(ヨシュア記18:11-28)
礼拝説教メッセージ音声:ベニヤミン族に割り当てられた領地(ヨシュア記18:11-28):右クリックで保存
ヨシュア記18章の後半以降、残り7部族への相続地の割り当てが記されている。
その中で、真っ先にくじが割り当てられたのは、ベニヤミン族であった。
『まずベニヤミンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。そしてそのくじによって獲た領地は、ユダの子孫と、ヨセフの子孫との間にあった。』(ヨシュア記18:11)
モーセは死ぬ時、ベニヤミン族を次のように祝福している。
「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り、/その肩の間にすまいを営まれるであろう」(申命記33:12)
モーセが「その肩の間にすまいを営まれる」と預言した通り、彼らはユダ族とヨセフ族という”両肩”の間に相続地を得た。
彼らへの相続地は、あまり広い地域ではないが、後のイスラエルにとっての要所がいくつかある。
『またギベオン、ラマ、ベエロテ、ミヅパ、ケピラ、モザ、レケム、イルピエル、タララ、ゼラ、エレフ、エブスすなわちエルサレム、ギベア、キリアテ・ヤリム。すなわち十四の町々と、それに属する村々。これがベニヤミンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業である。』(ヨシュア記18:25)
ギベオンやラマは、ベニヤミンの母・ラケルが死んだ所とされ、その付近に彼女の墓があったと考えられており、エレミヤは、その地方が後にバビロンによって滅ばされる事を「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。」(エレミヤ31:15)と預言している。
ラケルは、ベニヤミンを産む時、とても難産で苦しんだため、その子を「ベン・オニ(私の苦しみの子)」と名づけたが、父ヤコブは「ベニヤミン(右手の子)」と名づけた。(創世記35:16-20)
ベニヤミンは、生まれたと同時に母が死んだので、母との思い出が無かったであろうが、彼の子孫は、その母が死んだ場所、墓のある場所が、主から相続地として与えられたわけである。
また、ミツパという場所は、後に、イスラエルが戦いや集会の時に集う場所として、よく用いられた。(士師記10:17、20:1、1サムエル記7:5)
そしてなんと、エルサレムも、ベニヤミンの相続地の中に含まれている。
エルサレムはダビデの町として、代々ユダ族の王が住んで来たため、ユダ族にくじが当てられたと思われがちだが、元々は、ベニヤミン族にくじが当てられた土地である。
なぜそこはユダ族が住む所となったのか。
ベニヤミン族はいつまでもエルサレムに住むエブス人を追い出さずにいた。
また、ベニヤミン人サウル王の時代になってもそこは手付かずのままであったため、結局、その後のダビデ王が、そこに住んでいるエブス人を追い払ったために、結局ダビデの町となったのだ。(2サムエル5:5-9)
そして、後にはこのエルサレムに神殿が建設され、ベニヤミン族は、神殿に礼拝しに行くのに近いというメリットが与えられた。
また、ソロモンの後の時代にイスラエルが北と南に分割された後も、ベニヤミン族はユダ族の側についたため、「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り」というモーセの預言が成就したのだ。
ベニヤミン族は、ヤコブの祝福によって、大きな力が与えられているのに(創世記49:27)、積極的に攻めて行かず、結局この狭い地域しか与えられなかった。
また、エルサレムという素晴らしい地が与えられているのに、そこも長らく攻め落とさずにいたため、ユダ族のダビデによって、先取りされてしまった。
私達は、主から与えられた力をもって、積極的に祝福を勝ち取っていくものでありたい。