メッセージ - 悪者が百度悪事を犯してもなお平気な事がある理由(伝道者の書8:9-17)
悪者が百度悪事を犯してもなお平気な事がある理由(伝道者の書8:9-17)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 伝道者の書
- 執筆 :
- pastor 2014-8-17 1:05
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
悪者が百度悪事を犯してもなお平気な事がある理由(伝道者の書8:9-17):右クリックで保存
【概要】
神の憐れみと裁きについての説教。悪者が栄えるように見える状況での正しい生き方を教える。
【聖書箇所】
伝道者の書8:9-17
黙示録20:11-15
第二ペテロ3:8-9
【慰めの言葉】
神は一人も滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。
【励ましの言葉】
イエス・キリストを信じ、招き入れるならば、そこは天の御国となります。
【戒めの言葉】
地上の人間の行いにばかり目を向けず、信仰の創始者であり完成者であるキリストに目を向けましょう。
【勧めの言葉】
御言葉を守り行い続けることで、人生から茨やアザミが取り除かれ、清められていきます。
【悔い改めの促しの言葉】
悪者が栄えているように見えても、その道に従わず、神の子として光の子どもとして歩みましょう。
【***詳細***】
今日の箇所は伝道者の書8章9節から17節までです。ここでソロモンは、この世で悪者が栄え、正しい者が苦しむという現実を目にして、そのむなしさを語っています。
「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。」(伝道者の書8:11)
この状況は、私たちの周りでも見られることでしょう。しかし、これは地上での一時的な状況に過ぎません。聖書は、最終的な裁きが必ず来ることを教えています。
黙示録20章11-15節には、最後の白い御座の裁きについて記されています。
「また私は死んだ人々が、大きな者も小さな者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは命の書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:12)
この箇所は、すべての人が最終的に自分の行いに応じて裁かれることを明確に示しています。では、なぜ神は今すぐに悪を裁かないのでしょうか?それは神の憐れみのゆえです。
第二ペテロ3章8-9節にこうあります。
「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
神は、悪者たちが悔い改めて立ち返る機会を与えておられるのです。これは神の憐れみの表れです。しかし、多くの人々はこの憐れみを誤解し、「神は悪いことをしても許してくれる」と思い、さらに悪を重ねてしまいます。
私たちクリスチャンは、この世の状況に目を奪われるのではなく、イエス・キリストに目を向け続けるべきです。イエスを信じ、御言葉に従うことで、私たちの人生から罪という茨やアザミが取り除かれていきます。
「私は快楽を賛美する。日の下では食べて飲んで楽しむより、ほかに人にとって良いことはない。」(伝道者の書8:15)
ソロモンはここで、人生を楽しむことを勧めています。しかし、私たちクリスチャンにとっての真の喜びは、神との関係の中にあります。イエス・キリストを信じ、御言葉に従う生活こそが、最高の喜びをもたらすのです。
ソロモンは、人間の知恵や努力では神の御業を完全に理解することはできないと結論づけています。しかし、だからといって求めることをやめてはいけません。むしろ、御言葉に従い続け、聖霊の導きを求め続けることが大切です。
【結論】
この世では悪者が栄えているように見えても、最終的な裁きは必ず来ます。しかし、神は憐れみ深く、すべての人が悔い改めることを望んでおられます。私たちは地上の状況に惑わされず、イエス・キリストに目を向け、御言葉に従う生活を送りましょう。そうすることで、私たちの人生は清められ、神の栄光を現す器となるのです。