メッセージ - 生きている間に喜んで楽しめという考え方(伝道者の書9:1-8)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
生きている間に喜んで楽しめという考え方(伝道者の書9:1-8):右クリックで保存
【概要】
伝道者の書9章1節から8節を通して、人生の結末とキリストにある希望について説教します。
【聖書箇所】
伝道者の書9章1-8節
【慰めの言葉】
「すべて生きているものに連なっているものには希望がある。生きている犬は死んだ獅子に勝るからである。」
【励ましの言葉】
「キリストにある私たちは、永遠に受ける分があるこの恵みと望みを感謝いたします。」
【戒めの言葉】
「どうせ明日は死ぬのだからと言っている。そこで万軍の主は私の耳を開かれた。この罪はお前たちが死ぬまで決して許されない。」
【勧めの言葉】
「いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。」
【悔い改めの促しの言葉】
「この地上の歩みは、永遠を決定づけるための査定期間と言っていいでしょう。」
【***詳細***】
今日の御言葉は、伝道者の書9章1節から8節です。この箇所では、人生の結末がすべての人に同じように訪れることが述べられています。正しい人も悪者も、善人も清い人も、すべての人に同じ結末が訪れます。しかし、キリストにある私たちは、永遠に受ける分があることを感謝します。黙示録20章11節からの白い御座の裁きにおいて、私たちはキリストにあって成したことの報いを受けます。
生きている者は自分が死ぬことを知っていますが、死んだ者は何も知りません。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられます。しかし、キリストにある者は、永遠に受ける部分があり、信仰の試練は火を通して精錬されてもなお朽ちてゆく金よりも貴いのです。
イエス・キリストを信じる者は、命の書に名が記されており、第二の死は何の害もありません。私たちはこの地上で、キリストにあって白い衣を着て、精霊の油を絶やさずに歩むべきです。黙示録の1章17節でイエス様は言われました。「私は生きているものである。私は死んだがみよ、いつまでも生きている。」
伝道者の書の言葉は、キリストなしに生きている人たちに非常によく当てはまりますが、キリストにあって生きる人は、永遠の希望を持っています。私たちは、キリストという生きるお方につながっていることで、希望があります。生きている犬は死んだ獅子に勝るという言葉は、キリストにつながる私たちに当てはまります。
【結論】
キリストにある私たちは、永遠の希望を持ち、地上での歩みを通してその希望を確かなものとすることができます。私たちは、キリストにあって白い衣を着て、精霊の油を絶やさずに歩み、永遠の報いを受けることを目指しましょう。