メッセージ - 移り行く世代、そして、決して移り変わりの無いお方(ヨシュア記24:29-33)
移り行く世代、そして、決して移り変わりの無いお方(ヨシュア記24:29-33)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨシュア記
- 執筆 :
- pastor 2014-8-30 10:34
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『これらの事の後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ、人々は彼をその嗣業の地のうちのテムナテ・セラに葬った。テムナテ・セラは、エフライムの山地で、ガアシ山の北にある。イスラエルはヨシュアの世にある日の間、また主がイスラエルのために行われたもろもろのことを知っていて、ヨシュアのあとに生き残った長老たちが世にある日の間、つねに主に仕えた。』(ヨシュア記24:29-31)
偉大な指導者、ヨシュアも、いよいよ死んだ。
彼が生きていた間、また、彼と共に戦った長老の世代が生きていた間、イスラエルが主から離れず主に使えていたのは、ひとえに、ヨシュアが主に従順する事を徹底して指導していた事が大きいだろう。
偉大な指導者ヨシュアは死んだが、私達にとっての指導者・まことのイエシュアは、決して死ぬ事の無いお方・イエス様であり、どんな指導者よりも優れたお方である。
『イスラエルの人々が、エジプトから携え上ったヨセフの骨は、むかしヤコブが銀百枚で、シケムの父ハモルの子らから買い取ったシケムのうちの地所の一部に葬られた。これはヨセフの子孫の嗣業となった。』(ヨシュア記24:32)
このヨシュア記では、古く昔から定められていた、色々な約束の成就があった。
彼らの父祖、アブラハム、イサク、ヤクブに対する約束、すなわち、このカナンの地を与えるという、何百年も昔に主が約束された事の成就があり、ヨセフが子孫に約束させた事の成就があり、そして、この世代のイスラエルに定めて下さった敵に対する勝利と、この地を受け継ぐという約束も、ことごとく成就した。
イエス様もまた、世の始まる前から定められていた遠大なご計画を、私達に対して成就させて下さる。
すなわち私達は、天地の造られる前からキリストにあって選ばれ、御前できよく傷なき者となるために、神の子としての身分をいただけるという、途方も無く素晴らしいご計画を、今、キリストにあって私達に対し成就して下さるのだ。(エペソ1:3-5)
それを私達が引き出すためには、御言葉を信じ、その信仰に裏打ちされた行動を取る事が必要である。
ヨシュアの時代のイスラエルが、ヨシュアを通して与えられた御言葉を信じ、それに忠実に行動した結果、勝利と祝福を得たのと、全く同じである。
『アロンの子エレアザルも死んだ。人々は彼を、その子ピネハスに与えられた町で、エフライムの山地にあるギベアに葬った。』(ヨシュア記24:33)
大祭司エルアザルは、ヨシュア記の中ではあまり登場しなかったが、彼もまた、怒涛の時代を駆け抜けた立役者の一人だった。
大祭司アロンの三男であった彼は、その兄達は、聖所において不敬を犯したために主の火によって焼き滅ぼされたのを見ている。
また、コラがモーセに反逆した時、それに追従した二百五十人は、主の火によって焼き滅ぼされたが、エルアザルは主の命令を受け、まだ煙くすぶる二百五十もの焼死体の手から、二百五十の火皿を回収し、それを延べ板として、祭壇の着せ金を造った。(民数記16:38)
このような、強烈な経験をして来た彼は、きっと、大祭司の家系の子々孫々に、きびしく教育したに違いない。
主の前に出る時は、決して分を超えたり、思い上がったりしてはならない、と。
実際、エルアザルの子ピネハスは、素晴らしい信仰の行いをした。(民数記25章)
偉大な指導者ヨシュアも、大祭司エルアザルも死んだ。
人には寿命があり、そして、世代は交代していく。
しかしまことの指導者であり、まことの大祭司であるイエス様は、もはや決して死ぬ事はなく、眠る事もまどろむ事もなく、常に私達と共におられ、常に父なる神様の御前で私達のために執り成し、間違った指導は決してする事も無いお方。
まことに主の主、王の王、まことの大祭司であられる。
偉大な信仰の指導者がいなくなった途端に、信仰から落ちてしまうのは、ありがちな事であり、実際イスラエルは、この直後、信仰から落ちてしまう。
私達がそうならないためには、私達個人個人が、直接、まことのイエシュアであるイエス様を主とし、イエス様と直接関わり、直接導きを受け、聞き従う事である。
パウロも言っている。
『わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。』(ピリピ2:12-15)
人間はやがて死ぬし、間違った指導もする。
だからこそ私達は、まことの大祭司であり、まことの指導者であるイエス様につながる事こそ、何より大事なのだ。
私達は生ける限り、ヨシュア記の世代のように、主に服従し、多くを勝ち取り、分捕り、幸いな一生を送る者でありたい。