メッセージ - 敢えて内なる敵が残されている理由(士師記3:1-11)

敢えて内なる敵が残されている理由(士師記3:1-11)

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執筆 : 
pastor 2014-9-11 23:36

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『すべてカナンのもろもろの戦争を知らないイスラエルの人々を試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおりである。・・・すなわちペリシテびとの五人の君たちと、すべてのカナンびとと、シドンびとおよびレバノン山に住んで、バアル・ヘルモン山からハマテの入口までを占めていたヒビびとなどであって、これらをもってイスラエルを試み、主がモーセによって先祖たちに命じられた命令に、彼らが従うかどうかを知ろうとされたのである。』(士師記3:1-4)


主が敢えて先住民を残しておられたのは、彼らを試みるためであり(士師記2:20-23)、また、戦うすべを教え、戦いの中において主に求め、主に頼る生き方を身につけさせるためであった。
現代を生きる私達も、戦いの必要がある。
日本は、前の戦争から70年ほど経ち、平和な日々を享受しているかのように見えるが、今、差し迫って、武器や兵器によらない戦いが必要である。
その戦いとは、私達の内に潜む、罪や愚かさに対する戦いである。

『しかるにイスラエルの人々はカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのうちに住んで、彼らの娘を妻にめとり、また自分たちの娘を彼らのむすこに与えて、彼らの神々に仕えた。そこで主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らをメソポタミヤの王クシャン・リシャタイムの手に売りわたされたので、イスラエルの人々は八年の間、クシャン・リシャタイムに仕えた。』(士師記3:5-8)

イスラエルは、滅ぼすべき罪深い者達と結婚して、一つに交じり合ってしまい、まことの神を捨てて他の神々に仕えた。
その結果、主の怒りを買い、主の守りはイスラエルから離れて、罪深き王へと売り渡され奴隷となってしまった。

私達も、滅ぼすべき罪を放置し続け、しかも、それと一つに交じるのであるなら、罪と死の法則の奴隷となってしまい、ただ災いしか来ない。
しかし、主は憐れみ深いお方である。
自業自得の災いの中にあっても、主に呼び求めるなら、主は救いを送って下さる。

『しかし、イスラエルの人々が主に呼ばわったとき、主はイスラエルの人々のために、ひとりの救助者を起して彼らを救われた。すなわちカレブの弟、ケナズの子オテニエルである。主の霊がオテニエルに臨んだので、彼はイスラエルをさばいた。彼が戦いに出ると、主はメソポタミヤの王クシャン・リシャタイムをその手にわたされたので、オテニエルの手はクシャン・リシャタイムに勝ち、国は四十年のあいだ太平であった。ケナズの子オテニエルはついに死んだ。』(士師記3:9-11)

1章でも見た通り、オテニエルは、敵が巨体である事を恐れずに、信仰によって戦い出て、真っ先に勝利し、カレブの娘アクサを妻として得たばかりか、妻アクサに求めさせて、泉をも勝ち取った。
彼は、天の御国の良きものを信仰によって激しく奪い取ろうとする精神だったからこそ、士師の第一号となる栄誉を得たのだ。
彼が生きてイスラエルをさばいていた時代は平穏だったが、彼も死ぬと、また人々は元通り、不信仰に戻ってしまう。

国が国力を落とすのは、何も、外敵が武力で攻めて来る事に限らない。
家庭や会社、学校において、子供や同僚、生徒の罪や愚かさに、正面から向き合わないまま野放しにさせているなら、やがてそこは衰退してしまう。
ましてや、教会や、キリスト者の家庭なら、なおさらである。
使徒パウロは言う。
『わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。』(ローマ7:22-2)

あの、使徒パウロでさえ、自分の肢体には、自分とは別物なる法則、すなわち、罪の法則があり、それが、自分をとりこにしていると告白している。
つまり、この肢体に刺さる「罪の根」は、イエス様を信じた時点でも、またバプテスマを受けた時点でも、取り除かれずに残されたままなのである。
それは、士師記の時代と同様、私達がキリストを信じる信仰によって、自分の内にある罪と戦い、主に対する従順を貫き通すかどうかを、主が試しておられるためなのかもしれない。
また、私達が日々信仰において戦ってその術を学び、後に救われていく信仰の子供たちにも、戦うすべを伝授させて行くためなのかもしれない。

パウロは、自分の中に住む罪の法則のせめぎあいの故に、為したい善が出来ない自分を「何とみじめな人間であろうか」と嘆いたが、そのすぐ後、感謝の賛美を主に捧げている。(ローマ7:18-25)
なぜなら、人には出来なかった罪や肉への勝利を、御子キリストが勝利し、キリストにある人は、その葛藤から解放された事を、パウロは知ったからである。
『こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。』(ローマ8:1-3)

勝利の鍵は、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の法則に、乗る事である。
あたかも、飛行機に乗って、重力の法則を打ち負かして飛行して行くかのように、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則に乗るならば、罪と死の法則を打ち負かして、死をいのちへと飲み込んで行くのである。
そこには自分の資質や能力、努力など、一切関係無い。
ただ、キリストが為して下さった法則に、乗っかるだけなのだ。

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