メッセージ - 強い者ではなく弱い者を用いて栄光をあらわす主(士師記4:17-24)
強い者ではなく弱い者を用いて栄光をあらわす主(士師記4:17-24)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 士師記
- 執筆 :
- pastor 2014-9-18 23:34
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鉄の戦車の部隊は全滅し、一人逃げた将軍シセラは、ケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に入った。(士師記4:17)
このケニ人ヘベルは、モーセのしゅうとホバブの子孫である。(11節)
本来ならイスラエルの民と友好関係にあるはずのヘベルだが、どういうわけか彼は、イスラエルの敵・ハゾルの王であるヤビンと親しくしていたのだ。
逃げて来たシセラを出迎えたヘベルの妻・ヤエルは、彼を丁寧にもてなした。
『ヤエルは出てきてシセラを迎え、彼に言った、「おはいりください。主よ、どうぞうちへおはいりください。恐れるにはおよびません」。シセラが天幕にはいったので、ヤエルは毛布をもって彼をおおった。シセラはヤエルに言った、「どうぞ、わたしに水を少し飲ませてください。のどがかわきましたから」。ヤエルは乳の皮袋を開いて彼に飲ませ、また彼をおおった。シセラはまたヤエルに言った、「天幕の入口に立っていてください。もし人がきて、あなたに『だれか、ここにおりますか』と問うならば『おりません』と答えてください」。』(士師記4:18-19)
シセラは激しい戦闘と、また敗北のショックとで、相当疲れていただろう。
そこは親しくしている人の天幕で、そこにいるのは、一人の女のみである。少なくとも、この天幕の中は、彼にとって安心できる領域であるが、『しかし彼が疲れて熟睡したとき、ヘベルの妻ヤエルは天幕のくぎを取り、手に槌を携えて彼に忍び寄り、こめかみにくぎを打ち込んで地に刺し通したので、彼は息絶えて死んだ。』(士師記4:20-21)
このようにして、デボラが預言していた事が成就し、今回の戦いの栄誉は、一人の女の手へと渡った。
ヘベルの妻ヤエルはなぜ、主人と仲良くしているシセラを殺したのか。
もしかしたら彼女は、イスラエルの敵と自分の主人が仲睦まじくしているのを、普段から快く思っていなかったのかもしれない。それでこの時、このような行動に出たのかもしれない。
主はしばしば、誰も見向きもしないような小さき者の手によって、誰も立ち向かえないような強大な者を討ち取らせる事がある。
ギデオンも、ダビデも、そして乙女マリヤも、元々は誰も見向きもしないような小さき者だった所を、大きな事に用いられた。
シセラは、鉄の戦車という殺傷力の高い兵器で向かってきたが、神は、一人の女の、しかも天幕の杭という日常生活の道具によって、神の民の敵を打ち伏した。
デボラの前の士師・シャムガルは、牛のむちという日常生活の道具を用いてペリシテ人六百人を殺したし、ダビデも、鎧や剣などの武器は用いず、使い慣れた羊飼いの道具でゴリヤテという巨人を打ち伏した。
ギデオンも、からつぼとたいまつとラッパだけで、敵軍に同士討ちさせ、イスラエルを大勝利へと導いた。
神は、神の御前に誰も誇る事がないように、人の力をはずかしめするため、あえてそのような事をされるのだ。
『人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。』(1コリント1:26-29)
『主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。主はおのれを恐れる者と/そのいつくしみを望む者とをよみせられる。』(詩篇147:10-11)
『バラクがシセラを追ってきたとき、ヤエルは彼を出迎えて言った、「おいでなさい。あなたが求めている人をお見せしましょう」。彼がヤエルの天幕にはいって見ると、シセラはこめかみにくぎを打たれて倒れて死んでいた。こうしてその日、神はカナンの王ヤビンをイスラエルの人々の前に撃ち敗られた。そしてイスラエルの人々の手はますますカナンびとの王ヤビンの上に重くなって、ついにカナンの王ヤビンを滅ぼすに至った。』(士師記4:22-24)
こうしてイスラエルは救われた。それはひとえに、イスラエルが主を呼び求めたからである。
救いは、人の力や知恵、経験によるものではなく、主による。
主は、呼び求める民には救いを与えられる。
それも、強い者ではなく最も弱い者を用い、殺傷力高い兵器を用いずに日常生活を用いて、力強き者を打ち破るのだ。