メッセージ - 戦いの呼びかけに応じた部族、応じなかった部族(士師記5:9-18)
礼拝説教メッセージ音声:戦いの呼びかけに応じた部族、応じなかった部族(士師記5:9-18):右クリックで保存
『起きよ、起きよ、デボラ。起きよ、起きよ、歌をうたえ。立てよ、バラク、とりこを捕えよ、/アビノアムの子よ。』(士師記5:12)
ダビデはよく「わが魂よ、主をほめたたえよ」と、自分の魂に向かって呼ばわって賛美する心を奮い立たせたが、デボラとバラクも同じように、戦いにおいて自分を奮い立たせた。
そして彼らは、今回彼らと共に戦いに出た部族を、賞賛している。
『その時、残った者は尊い者のように下って行き、/主の民は勇士のように下って行った。彼らはエフライムから出て谷に進み、/兄弟ベニヤミンはあなたの民のうちにある。マキルからはつかさたちが下って行き、/ゼブルンからは指揮を執るものが下って行った。イッサカルの君たちはデボラと共におり、/イッサカルはバラクと同じく、/直ちにそのあとについて谷に突進した。』(士師記5:13-15a)
ここに登場する部族、すなわちエフライム、ベニヤミン、マナセの半部族(マキル)、ゼブルンは、バラク達の呼びかけに応じ、戦いに馳せ参じた。
特に、イッサカル族の長たちはデボラと共にいて、その部隊はバラクのすぐ後に続き、谷へと突進して行ったようである。
しかし、そうでなかった部族も、いくつかいた。
『ルベンの氏族は大いに思案した。なぜ、あなたは、おりの間にとどまって、/羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。ルベンの氏族は大いに思案した。』(士師記5:15b-16)
ルベン族は、戦いの呼びかけがあったのに、自分の所に留まって思案し、自分達が飼っている羊の群れの中で、羊飼いが吹く笛を聞きながら思い巡らしていたようである。
戦うべき時なのに戦わず、どうでもいい事をしながら、ただ思いを堂々巡りさせて思案いるような者には、恥しか記録されない。
『ギレアデはヨルダンの向こうにとどまっていた。なぜ、ダンは舟のかたわらにとどまったか。アセルは浜べに座し、/その波止場のかたわらにとどまっていた。』(士師記5:17)
ギルアデは、ヨルダン川の東側の地、ガド族、マナセの半部族の地で、彼らはヨルダン川の東側に留まっていた。
どうやらルベン、ガド、マナセの半部族、すなわち、モーセから真っ先に割り当てを受けたヨルダンの東側の部族達は、今回の戦いには関せずだったようである。
また、ダン族は船に、アセル族は海辺に、それぞれの生活の場から出てこなかったようである。
『ゼブルンは命をすてて、死を恐れぬ民である。野の高い所におるナフタリもまたそうであった。』(士師記5:18)
今回の戦いで最も賞賛された部族は、3章10節でも名が上がっている、このゼブルン族とナフタリ族である。
彼らは、命を顧みず戦いに出たため、その栄誉が賞賛された。
このように、戦いへの呼びかけがあった時に、戦いに出た者と出なかった者、思案して何もしなかった者、そして、命をかけて戦った者もおり、それぞれに相応しい栄誉が与えられ、また、ある部族には恥が与えられた。
私達も生ける限り、信仰の戦いからは免れられない。
戦いを前にする時、ルベン族のように思案して思い煩ってしまう者もいるが、ペテロは勧めている。
『神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。』(1ペテロ5:7-9)
私達の戦いは、主イエスにあって必ず勝利できるものであり、また大きな報いがあるものである。
『あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。』(同5:10-11)