メッセージ - テオフィロスとルカと私達(使徒1:1-2)
礼拝説教メッセージ音声:テオフィロスとルカと私達(使徒1:1-2):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
使徒行伝の書き出しは、ルカ福音書と同様、テオフィロスへの献辞で始まる。
つまり、使徒行伝の著者は、ルカである。
ルカ福音書は、イエスキリストと弟子達、およびその周辺に関する出来事を、詳細に調べ、テオフィロスに順を追って報告する形式で書かれている。
彼は既に記されている文献を調べ、色々な人に聞き込み調査をし、福音とイエス様に関わる事を、イエスの誕生から死、復活と昇天に至るまで順を追ってルカの福音書を編纂し、昇天以降の出来事を使徒行伝として記した。
コロサイ4:14によると、ルカはパウロに愛された医者である事が分かる。
ルカの書き方は、パウロが第2伝道旅行に行くあたりから違って来る。
それまで弟子達やパウロを、第3者の他人として書いていたものが、16章10節以降は「私達は」と、あたかもルカ自身もパウロの伝道旅行に自ら参加しているような書き方に変わる。
それまでテオフィロスに報告する立場として、客観的にキリスト者集団と関わってきたのが、途中から自ら、福音の伝道旅行にパウロの専属医として同行し、苦楽を共にして、ついにはキリストの魅力にのめり込んでしまったようである。
後にパウロが殉教する直前、2テモテ書簡の最後のほうに、デマスや他の弟子達は離れて行ったがルカだけが共にいた、という事を書いている。
ほかの弟子達はパウロを見捨てて行く中、あくまでパウロの傍を離れないほど、ルカはパウロを慕うようになったという事である。
ルカは医者である。
処女が身篭ったとか、死人が蘇ったとか、病人が手を置いたら癒されたとか、医学会から追放されてもおかしくない事を堂々と書いたのは、彼自身がイエスキリストの名における様々な徴を見、その力を体験し、実際に生きておられるイエス様ご自身と出会ってしまったからである。
今日本においてはペ・ヨンジュンが人気であり、彼のファンは北海道にも九州にもいて、彼に関する事であればすぐに意気投合するであろうが、ヨン様とイエス様の決定的な違いは、ヨン様は日本各地のファン一人一人の事は知らないが、イエス様は日本各地どころか全世界、あらゆる時代の一人一人の事を知っており、愛しており、命を投げ出した事である。
だから、北海道でも九州でも、全世界でも過去でも未来でも、私達の大好きなイエス様が愛された兄弟姉妹という事でつながる事が出来るし、私達の大好きなイエス様がその人のためにもいのちを投げ出してくださったという事で、例え一度も会った事が無いとしても、私達も彼らを愛し、病気であれば祈り、不幸があれば共に泣き、栄誉を受ければ共に喜ぶのである。
ルカもイエス様にあって兄弟姉妹と関わる内に、彼らだけでなく自分自身さえも愛して下さったキリストの魅力に取り付かれ、キリスト気違いになり、パウロと苦難を共にして、彼の処刑される直前まで共にいるほどになったのである。
この書物はテオフィロスへの献辞で始まる。
彼がどんな人物であるか色々な憶測はあるが、どんな人物であっても私達には関係が無い。
テオフィロスの名前の意味は「神の友」である。
私達信じる者も、神の友である。
つまり、ルカが記したのは、テオフィロスという一人の人物ばかりでなく「神の友」である我々にも記しているのである。
この物語を読む皆さんも、パウロ達と苦楽を共にし、伝道に参加し、現代を生きる使徒として、福音の働きを完成する手伝いをする者でありますように、イエス様の名前によって祝福します!