メッセージ - 何ゆえに人をこれほどまで(ヘブル2:5-9)
礼拝説教メッセージ音声:何ゆえに人をこれほどまで(ヘブル2:5-9):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
偉大な被造物を見るにつけ、人間は本当にちっぽけだと実感する。
万物は御子のために創られており、御子キリストは教会のかしらであり、教会(召しだされた者達)とは私達である。(コロサイ1:15-20)
という事は、万物は私達のために存在する。
そこまで特別扱いされる人間とは、一体何者なのだろうか。
人間は、万物の源なる御子イエス様の、結婚相手である。
人は元々、結婚相手の花嫁として創られ、万物はその結婚生活をするための王子の宮殿、愛の巣として創られたのである。
しかし万物はアダムとエバの過ちによって呪われ、人は霊において死に、ゾンビのように腐乱臭を撒き散らしながら、愛の巣であるはずの素晴らしい世界を好き放題に破壊活動するようになってしまった。
神はゾンビをそのまま滅ぼす事はなさらず、御子の花嫁として生き返らせるために、御子自身の身代わりの血によって買戻し、そうして私達人間はこの御子にあって、新しい永遠のいのちが与えられ、神と和解させられた。
万物はいまだに贖われる事を切に望んで、御国の子達の表れを待ち望み、海の苦しみをしている。(ローマ8:18)
また私達も、この肉体において、魂において、贖われる事を切に待ち望んでいる。
生まれながらの私達は、霊・肉・魂において希望を持つ事はできない。
まことのぶどうの木である御子イエスに繋がっていなければ、私達は何も出来ないが、御子イエスに繋がっていれば、主のわざを成す事が出来、豊かな実を結ぶ事が出来る。
被造物は御子のあらわれを切に待ち望んでおり、私達贖われた者達のあらわれを待ち望まれている。
それ故私達は、御子にあって、被造物を支配しなくてはならない。
その資格を得るには、一度死ぬ必要がある。
ゾンビとしてのいのちには死に、イエスにあって新しく生まれ直す必要がある。
イエス様が栄誉を受けたのは、十字架の死に至るまで従順だったからである。(ピリピ2:6-11)
私達もキリストにならって、自分の好き勝手に生きたいという、生まれながらのいのちは十字架の死に明け渡し、御子イエスのご支配にお委ねするべきである。
その時、私達は創られた目的に添って生きる事が出来、エデンの園におけるように全ての必要は満たされ、世を正しく支配する事ができるのである。