メッセージ - アブラハムとイサク - 自らを捧げる礼拝(創22:1-18)

アブラハムとイサク - 自らを捧げる礼拝(創22:1-18)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2014-10-19 16:23

アブラハムとイサク - 自らを捧げる礼拝(創22:1-18)
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念願の子イサクもすくすくと成長して行き、楽しく順風満帆な生活を送っているかのようなアブラハムだったが、主はそんな彼に、最大の試練を与える。その試練とは、彼の愛している独り子イサクを捧げる事である。
神は、伊達や酔狂で「捧げよ」と命じているのではない。アブラハムがどれだけイサクを愛しているのかを知らない訳ではないし、神は、ひとり子を捧げるとはどんなに重く辛い事であるかを、知っておられる。
それでもアブラハムはイサクを捧げる必要があったのだ。それは、イサクも、それ以降生まれ出てくる子孫達も、神のものとされ、その子孫から救い主キリストをもたらし、全人類を彼にあって救うため(18節)である。
イエスキリストは救い主、神のひとり子である。神はそのひとり子を、世を救うための身代わりの犠牲とし、彼を救い主として信じる者には、罪の赦しと、神の子としての特権と、永遠の命が与えられるのだ。

『アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。』(創世記22:3) 彼は間髪入れず準備し、翌朝出発した。
彼には大勢の僕もいたが、連れて行ったのは二人の若者だけだった。アブラハムは若者たちにも、恐らくサラにも、「イサクをささげに行く」と具体的に言ってはいなかっただろう。主から示された事が、信仰の弱い人のつまづきになってしまうような場合は、全てを明らかにせず、隠しておいたほうが良い事もあるのだ。
そしてこの場面には、一切、アブラハムの感情表現が記されていない。イシュマエルを追い出すべき時は非常に悩んだ(創21:11)し、サラが死んだ時もアブラハムは嘆いて泣いた(創23:2)のに、この、彼の人生最大とも言える試練の時、聖書はなぜか、彼の心理描写を一切記述していない。
ただ彼は、二つの言葉を言っているのみである。その一つ目は、『あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます。』(創22:5)
彼と息子は礼拝して、また戻ってくる、と、彼は告白した。真の礼拝は、霊とまことによるもの、すなわち、「いのち(原意は「魂」。ギリシア語の”プシュケー”、すなわち思い・意志・感情)」を、主に捧げるものである。
アブラハムは、思い・意志・感情を捧げ尽くしたからこそ、心理描写は一切記される必要は無かったのだ。
彼の二つ目の言葉は「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう。」(創世記22:8)である。
アブラハムはただ、火と剣とを持ち、子にたきぎを背負わせて、主が示された山「モリヤ(主が備える地)」に登って行った。神は、犠牲の小羊を必ず備えて下さる。彼にはその「期待する信仰」があったのだ。
私達も礼拝において、霊(ニューマ)と魂(プシュケー)を切り分ける御言葉の剣(ヘブル4:12)と、自分の最も大事なものを焼きつくす火と、自分自身を燃やし尽くすたきぎを背負い、神は新しいいのちを備えて下さるという期待を持って、主の定められた所へ行く時、霊とまことによって捧げる礼拝の準備が整うのである。

アブラハムはイサクを実際に縛り、刃物を取り、ほふって神に捧げようとしたその時、「アブラハム、アブラハム。」と呼び声があった。2度呼びかけている所に、主の慌てぶり(?)が垣間見られる。
主はアブラハムに、愛する子を刃物で殺させ、その子をご自身に捧げさせようと、思われたのだろうか?否、彼の心を試みたのである(12節)。そしてアブラハムは、イサクは自分の手で殺され、二度と戻って来ないと思っていたのだろうか?否!彼と息子は、生きて、また戻ってくる事を、彼は信じ告白していた。(5,8節)
彼は、神は死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。(ヘブル11:19)
そして主は、イサクの代りとして捧げるべき一頭の雄羊を備えられた。『それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。』(14節)
神が私達に備えて下さる備えの羊は、まことの小羊キリストであり、神は私達の身代わりとして捧げられた。
神は私達にも、捧げる事を求められる。それは奪うためではなく、遥かに優れたものに置き換える為だ。
私達が大切に握り締めて来た思い、意志、感情の、一つ一つを、少しずつ主に手放して行く時、その手放して行った領域は、主のものとなり、私達が手放したものに遥かに勝る優れたものを備えて下さるのだ。
主はアブラハムに、ご自身をさして誓われた。すなわち、彼を大いに祝福し、子孫を天の星、浜べの砂のように増やし、その子孫は敵の門を打ち取り、全世界は、その子孫によって祝福される事を。
私達も、主の言葉に従って、自らの魂を降ろし、主に捧げるなら、主は、捧げたものをさらに優れたものによって置き換え、私達もアブラハムの子孫として与えられている約束と祝福に、あずからせて下さるのだ。

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