メッセージ - アビメレクという茨から火がのぼり(士師記9:41-57)
礼拝説教メッセージ音声:アビメレクという茨から火がのぼり(士師記9:41-57):右クリックで保存
『こうしてアビメレクは引き続いてアルマにいたが、ゼブルはガアルとその身内の人々を追い出してシケムにおらせなかった。翌日、民が畑に出ると、そのことがアビメレクに聞えた。アビメレクは自分の民を率い、それを三組に分け、野に身を伏せて、うかがっていると、民が町から出てきたので、たちあがってこれを撃った。』(士師記9:41-43)
アビメレクは、ガアルを追い出しただけでは飽きたりなかった。
シェケムの人々は、畑仕事をするために町から出てきた。
アビメレクはもうガアルが追い出された事で「気が済んだ」と彼らは思っていたのだろう、日常生活に戻ろうとしていたた所を、アビメレクは待ち伏せして、殺戮し、また、町を襲って住人を殺し、破壊した後、塩をまいた。(士師記9:43-45)
塩をまいたのは、その町が汚れたものである事を示し、それを自分達”正規軍”が懲罰して清めた、という事を内外に示すためであろう。
それで彼はさらに勢いづき、別の所を攻め取るために、進んで行った。
『シケムのやぐらの人々は皆これを聞いて、エルベリテの宮の塔にはいった。』(士師記9:46)
ここで「塔」と口語訳で訳された言葉は、元来、戦いの時に立て篭って抗戦するために用いる「とりで」のようなものの意味で、新改訳では「地下室」、新共同訳では「地下壕」と訳されている。
また、「エルベリテの宮」を直訳するなら「ベリテの神の家」、つまり彼らは、偶像礼拝施設の中の、敵がうかつに攻め込めないような所に、立て籠もったのである。
『アビメレクは自分と一緒にいた民をことごとく率いてザルモン山にのぼり、アビメレクは手におのを取って、木の枝を切り落し、それを取りあげて自分の肩にのせ、一緒にいた民にむかって言った、「あなたがたはわたしがしたことを見たとおりに急いでしなさい」。そこで民もまた皆おのおのその枝を切り落し、アビメレクに従って行って、枝を塔によせかけ、塔に火をつけて彼らを攻めた。こうしてシケムのやぐらの人々もまたことごとく死んだ。男女おおよそ一千人であった。』(士師記9:48-49)
アビメレクは、逃げ場の無い彼らを、火攻めという残酷な方法で殺し、それでも飽きたらず、さらに次の所を攻めに行く。
彼は一見、勝利に勝利を重ね、快進撃しているように見えるが、それは一時的であり、彼がもっと傲慢になって自ら滅びへと邁進して行くように、主がしておられるのである。
『ついでアビメレクはテベツに行き、テベツに向かって陣を張り、これを攻め取ったが、町の中に一つの堅固なやぐらがあって、すべての男女すなわち町の人々が皆そこに逃げ込み、あとを閉ざして、やぐらの屋根に上ったので、アビメレクはやぐらのもとに押し寄せてこれを攻め、やぐらの入口に近づいて、火をつけて焼こうとしたとき、ひとりの女がアビメレクの頭に、うすの上石を投げて、その頭骸骨を砕いた。
アビメレクは自分の武器を持つ若者を急ぎ呼んで言った、「つるぎを抜いてわたしを殺せ。さもないと人々はわたしを、女に殺されたのだと言うであろう」。その若者が彼を刺し通したので彼は死んだ。』(士師記9:50-54)
将軍シセラがヤエルに殺された時のように、将軍や王などが女に殺されて死ぬは、かなりの恥であった。
それでアビメレクは、そのそしりを受けないようにと、道具持ちの若者に自分を殺させるという”工夫”をしたものの、のちの時代には、彼は「女によって殺された」と語り継がれており、しかも、城壁にうっかり近づき過ぎると、アビメレクのように女にも殺されかねない、と、注意喚起の象徴のようにされたようである。(2サムエル記11:20-21)
『イスラエルの人々はアビメレクの死んだのを見て、おのおの去って家に帰った。このように神はアビメレクがその兄弟七十人を殺して、自分の父に対して犯した悪に報いられた。また神はシケムの人々のすべての悪を彼らのこうべに報いられた。こうしてエルバアルの子ヨタムののろいが、彼らに臨んだのである。』(士師記9:55-57)
エルバアルの血の唯一の生き残りであるヨタムは、こう預言していた。
『アビメレクから火が出て、シケムの人々とベテミロとを焼きつくし、またシケムの人々とベテミロからも火が出てアビメレクを焼きつくすでしょう。』(士師記9:20)
彼が預言した通り、アビメレクという”いばら”は、シェケムを焼き、アビメレク自身も、相手に”火”をつけようとしている最中に、女によって脳天を割られ、火の滅びは自分の頭上に返った。
血を流すものは血を流され(創世記9:6)、剣を取る者は剣によって滅びる。(マタイ26:52)
『あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。』(ヤコブ2:13)
私達は神を恐れつつ、御言葉に従い、柔和な者、地を相続する者として、安全に歩んでいきたい。