メッセージ - その名は、不思議(士師記13:15-25)
礼拝説教メッセージ音声:その名は、不思議(士師記13:15-25):右クリックで保存
『マノアは主の使に言った、「どうぞ、わたしたちに、あなたを引き留めさせ、あなたのために子やぎを備えさせてください」。主の使はマノアに言った、「あなたがわたしを引き留めても、わたしはあなたの食物をたべません。しかしあなたが燔祭を備えようとなさるのであれば、主にそれをささげなさい」。マノアは彼が主の使であるのを知らなかったからである。マノアは主の使に言った、「あなたの名はなんといいますか。あなたの言われたことが事実となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。』(士師記13:15-17)
イスラエルは長い間、民族レベルで主から離れていたため、主がどのようなお方か、また、主と向かう時の正しい流儀知らなかったのだろう。
マノアは、御使いを、何か霊的なレベルの高いな人であるかのように思って、ごちそうで接待しようとしたが、御使いは、人の飲み食いするものを食べたりはしない。ただ、人の主への捧げ物や祈りを受け取って、それを主の元へと運んでいく。(黙示録8:3-4)
主から使わされている者は、人であれ、天使であれ、自分が伏し拝まれる事を好まない。
使徒ヨハネは自分に啓示を伝えてくれた御使いにひれ伏したが、御使いは言った。「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。」(黙示録19:10)
また、使徒パウロもペテロも同様に、自分が拝まれる対象である事を拒否し、主のみを礼拝するよう勧めた。(使徒14:15、10:26)
『主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」。』(士師記13:18)
マノアは御使いに、あなたをあがめたいから名前を教えて欲しい、と聞いたが、それに対し主の使いは、自分の名を「不思議」と言った。
そう、私達があがめるべきは、御使いや誰か人間ではない。主の不思議なわざ、くすしいわざである。
詩篇には「主の不思議なわざをほめたたえます」「主のくすしいわざをほめたたえます」と、至る所に散りばめられているように、私達も、主の不思議なわざ、くすしいわざをこそ、誉め称えるべきなのだ。
子が生まれるには、もう望み得ないようなマノア夫婦の間に、ひとりのみどりごが与えられる。そしてその子は、暗闇に満ちた時代のイスラエルを、救うという。
それはまさしく、キリストの型である。
『苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。・・・ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』(イザヤ9:1-6)
キリストは、その名を、「不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)」ととなえられる。
士師の時代、ひとりのみどりごがイスラエルを救うという預言が、御使いによって、不妊の女マノアの妻に与えられた。
同じように、この暗闇に満ちた全世界に、ひとりのみどりごが与えられるという約束が、子を産むなど決して望み得ない一人の処女マリヤに、御使いを通して与えられた。
まさにサムソンの生まれる様は、キリストの生まれる様によく似ている。
聖書には至る所に類似性があり、それらは全て、キリストを示している。
律法も、預言書も、詩篇も、キリストのご性質、キリストの品性を示しているのだ。
『「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。』(ルカ24:44-47)
不思議な助言者・キリストに聞き従い、キリストのみを伏し拝み、キリストを至る所に宣べ伝え、暗闇に満ちたこの世界に、キリストの光を届ける皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!