メッセージ - いつまでも罰せられない事につけあがるサムソン(士師記16:1-9)
いつまでも罰せられない事につけあがるサムソン(士師記16:1-9)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 士師記
- 執筆 :
- pastor 2014-11-19 23:08
礼拝説教メッセージ音声:いつまでも罰せられない事につけあがるサムソン(士師記16:1-9):右クリックで保存
『サムソンはガザへ行って、そこでひとりの遊女を見、その女のところにはいった。』(士師記16:1)
ガザは、ペリシテの領地の南端にある町である。
前回の所で、主は、彼の罪深い素行に見合わないほどの救いを与えて下さった、にもかかわらず、彼はまだ懲りずにペリシテの地に女を求めに行っている。
パウロは言う。
『あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。』(1コリント6:15-20)
サムソンは、幾度も主の霊が激しく降っているというのに、その与えられた力を、神の栄光をあらわすために用いず、かえって、そのからだを取って異邦の遊女と交わり、主と、その聖なる霊とに、罪を行っている。
それでもなお、彼からその力は取り上げられない。
『「サムソンがここにきた」と、ガザの人々に告げるものがあったので、ガザの人々はその所を取り囲み、夜通し町の門で待ち伏せし、「われわれは朝まで待って彼を殺そう」と言って、夜通し静かにしていた。』(士師記16:2)
サムソンはもはやペリシテ人の間では有名なお尋ね者であり、長髪でガタイが大きい彼は、とても目立つはずなのだが、それでも堂々と、女を買うためにペリシテの領地に来て、堂々と遊女と遊んでいる。
彼の慢心のつけ上がりさ加減は、ますます大きくなっている事がわかる。
『サムソンは夜中まで寝たが、夜中に起きて、町の門のとびらと二つの門柱に手をかけて、貫の木もろともに引き抜き、肩に載せて、ヘブロンの向かいにある山の頂に運んで行った。』(士師記16:3)
ガザからヘブロンまでは六十キロ以上はある。
町の門を素手でひっこ抜いただけでも驚きだが、それを六十キロ以上も担いで運ぶのは、相当の怪力である。
きっと待ちぶせしていたペリシテ人は、そんなサムソンを見て、とてもかなわないと、戦う気も失せてしまったのだろう。
世の人は、これを見て痛快に思うし、男の中の男だ、と思う人もいる。彼が為した事どもは、絵画や映画でも、好んで取り上げられる面白いストーリーである。
しかし、御言葉の見地に立つならば、彼はとんでもない事を続けており、主の憐れみによって、かろうじて首の皮一枚で命がつながっているものである事がわかるはずだ。
それでもなお、彼から力が取り上げられないのは、彼が、ナジル人としての誓願の「頭にかみそりを当てない」というきまりを、かろうじて守っているからである。
しかし、いつまでも罰せられない事に慢心し、図に乗り続けていると、自分がどんなにとんでもない事をしているか、どんなに主を悲しませているのかという感覚がマヒして行き、どんどん自分を滅びへと導いて行ってしまうのだ。
『この後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛した。ペリシテびとの君たちはその女のところにきて言った、「あなたはサムソンを説きすすめて、彼の大力はどこにあるのか、またわれわれはどうすれば彼に勝って、彼を縛り苦しめることができるかを見つけなさい。そうすればわれわれはおのおの銀千百枚ずつをあなたにさしあげましょう」。』(士師記16:4-5)
彼を決定的な滅びへ突き落とすのが、この女性・デリラである。
彼女の名前の意味は「上品な」「思わせぶり」であり、彼女はもしかしたら高級娼婦だったのかもしれない。
彼女は大金を積まれ、サムソンを色仕掛けで陥れる機会を狙う。
『そこでデリラはサムソンに言った、「あなたの大力はどこにあるのか、またどうすればあなたを縛って苦しめることができるか、どうぞわたしに聞かせてください」。サムソンは女に言った、「人々がもし、かわいたことのない七本の新しい弓弦をもってわたしを縛るなら、わたしは弱くなってほかの人のようになるでしょう」。』(士師記16:6)
普通なら、「どうすればあなたを縛って苦しめることができるか」などという質問に、おかしい、何か陰謀がありそうだ、と思うはずであろう。
しかし、女の色気に目が眩んでいるためか、それとも、知っていてわざと楽しんでいるためか、彼は彼女に追求せず、どうでもいい事を言って、答えをかわす。
『そこでペリシテびとの君たちが、かわいたことのない七本の新しい弓弦を女に持ってきたので、女はそれをもってサムソンを縛った。女はかねて奥のへやに人を忍ばせておいて、サムソンに言った、「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」。しかしサムソンはその弓弦を、あたかも亜麻糸が火にあって断たれるように断ち切った。こうして彼の力の秘密は知れなかった。』(士師記16:8-9)
彼女は実際に、彼を縛った。いかに愛している女性とはいえ、こうすれば自分は弱くなる、と言った、その方法をして来るような女性を、どう思うであろうか。
それでも彼は、彼女との付き合いを続けてしまう。よほど自信があったのであろう。
しかしその慢心が、20年の間守られてきた彼を滅びへと突き落とす事になる。
私達は、いつまでも罰せられない事に慢心し、図に乗り続けて罪を犯し続けてはならない。
その慢心が私達自身も、滅びへと導くからだ。