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メッセージ - ソドム以下に成り下がってしまったイスラエル(士師記19:22-30)

ソドム以下に成り下がってしまったイスラエル(士師記19:22-30)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 士師記
執筆 : 
pastor 2014-12-11 23:50

礼拝説教メッセージ音声:ソドム以下に成り下がってしまったイスラエル(士師記19:22-30):右クリックで保存

かのレビ人達は、宿が与えられ、ほっと一息ついたのもつかの間、とんでもない事に陥る。
『彼らが楽しく過ごしていた時、町の人々の悪い者どもがその家を取り囲み、戸を打ちたたいて、家のあるじである老人に言った、「あなたの家にきた人を出しなさい。われわれはその者を知るであろう」。』(士師記19:22)
「知る」とは、性的関係を結ぶ、という事である。
そう、この町の男達は、旅客として訪れたレビ人の男性と、性行為がしたいために、暴力的に取り囲んでいるのだ。
もう、旅人をもてなすとか、神の奉仕者・レビ人を大事にするとかいったレベルの事ではなく、相手が旅人であろうが、レビ人であろうが、同性であろうが、とにかくただ性的に犯したいという、獣以下の本能で動いているのだ。
ここに、ソドムやゴモラと全く同じ事が、展開されている。
ソドムといえば、創世記19章で記されている通り、生きたまま地獄の炎が降ってきて神に直接裁かれた、不品行の象徴のような罪深い町であるが、それと全く同じ状況が、神の民イスラエルの中で起きてしまっている。

『しかし家のあるじは彼らのところに出ていって言った、「いいえ、兄弟たちよ、どうぞ、そんな悪いことをしないでください。この人はすでにわたしの家にはいったのだから、そんなつまらない事をしないでください。ここに処女であるわたしの娘と、この人のめかけがいます。今それを出しますから、それをはずかしめ、あなたがたの好きなようにしなさい。しかしこの人にはそのようなつまらない事をしないでください」。』(士師記19:23-24)
この町の者達の要求も、この老人の対応も、創世記19章で記されているロトとソドムの住人の対応に似てはいるが、違う点がいくつかある。

ロトの時は、客人を守るために、処女である自分の二人の娘を渡そうともちかけたが、今回この老人は、自分の娘だけでなく、客人のめかけも差し出そうと提案している。
それだけでも非道い話だが、レビ人は自分の身を守ろうと、次の事をする。
『しかし人々が聞きいれなかったので、その人は自分のめかけをとって彼らのところに出した。彼らはその女を犯して朝まで終夜はずかしめ、日ののぼるころになって放し帰らせた。朝になって女は自分の主人を宿してくれた人の家の戸口にきて倒れ伏し、夜のあけるまでに及んだ。』(士師記19:25-26)
ここでロトの時と決定的に違う事は、ロトの時は御使いによって助けられたが、今回は、助けはどこにも無く、レビ人は無情にも自分のめかけを暴漢どもへ投げやり、暴漢どもは彼女を朝になるまで好き放題に暴行した。

ロトは、信仰者アブラハムによって執り成し祈られていが、この時代、執り成し祈る者は誰もいなかった。
普通のストーリーなら、こういうピンチの時はヒーローが現れて必ず救ってくれる事を期待するが、御言葉を守る事も、執り成しの祈りも無い時代には、残念ながら救いのヒーローは現れず、ただ蹂躙され、やられてしまうだけなのだ。

もう一つ、ロトの時と違う事といえば、ソドムは天から火が降って来て裁かれたが、イスラエルはすぐには裁かれない事だ。
人は思う。なぜこのような事が神の民の中で起こるのか、と。
なぜこうなるまで、主は放って置かれたのかと。

逆に見れば、主は、そこまで神の民を”特別扱い”されているのだ。
主は、ソドムの罪悪がある点まで達した時、天から火を降し、滅ぼした。しかし、神の民イスラエルについては、特別扱いされる。
主は彼らが義に立ち返ることを願い、悔い改めるまで待たれ、さばきを先々まで先伸ばしにされるのだ。
しかし、人々は、その主の憐れみを悪用し、いつまでも赦されると思って、さらに悪をし放題してしまった。
神は侮られるようなお方ではない。必ず自分のした事の報いはその身に受ける事になる。

『彼女の主人は朝起きて家の戸を開き、出て旅立とうとすると、そのめかけである女が家の戸口に、手を敷居にかけて倒れていた。彼は女に向かって、「起きよ、行こう」と言ったけれども、なんの答もなかった。そこでその人は女をろばに乗せ、立って自分の家におもむいたが、その家に着いたとき、刀を執り、めかけを捕えて、そのからだを十二切れに断ち切り、それをイスラエルの全領域にあまねく送った。』(士師記19:27-29)
彼女を襲った暴漢も非道いが、このレビ人も、そうとう非道い。
レビ人は、彼女を暴漢どもにつきだしておきながら、彼女が襲われている間、彼自身はそのまま安全な所で睡眠したのだ。
そして起きあがると、彼女をその町に残したまま、自分だけ、旅立つつもりでいたのだ。
彼が旅立とうとして、扉を開けると、そこに彼女が倒れていたのを見たが、安否を気遣う事もなく、そのまま「起きよ、行こう」と言う。
ここまで見ると、このレビ人が彼女をわざわざ父の家に迎えに行ったのは、彼女の人格を愛していたからではなく、性的な快楽の”道具”として有用だったから取り戻しに行っただけだったのかもしれない。

そして、動かなくなった彼女を家に持ち帰ると、なんとその死体をバラバラに解体して、それぞれの部位を、イスラエル各地に送ったのだ。
少しでも共に過ごした女性の死体を、自分の手でバラバラに解体して、各地に送りつける。
現在日本も、死体をバラバラにしてしまう事件を聞く事には、ある程度の耐性がついてしまっているくらいに、異様な時代ではあるが、神に仕えるはずのレビ人がそのようにするというのは、深刻なまでに異常な事態である。
レビ人は、神の専任の働き人として身を清く保ち、汚れた行いからはほど遠い存在であるはずなのに、そのレビ人が率先して堕落し、汚れに身を投じてしまっている。
これら一連の状況を見るに、ソドムやゴモラのほうが、まだましに思えて来てしまう。

『それを見たものはみな言った、「イスラエルの人々がエジプトの地から上ってきた日から今日まで、このような事は起ったこともなく、また見たこともない。この事をよく考え、協議して言うことを決めよ」。』(士師記19:30)
この事によって、悔い改めの祈りが沸き起こったとか、神に立ち返ろうという運動が起こったとかは一切無く、「この事をよく考え、協議して言うことを決めよ」と、神抜きに言っている点が、いかにも士師記らしい。
しかし少なくとも、神の国と言われるイスラエルにおいて、このような事が起こった事については、イスラエル中に衝撃が巻き起こった。
堕落の究極の象徴とも言えるソドムよりも、さらに非道い状況へと落ちいってしまった事に対して、問題意識が本気に芽生えて来たのだ。
大きな前進とも言えるが、やはり、神に立ち返る事なく、互いや自分の意見や考えによって解決しようとしている内は、問題の解決は決して無い。
事態はもっと混乱していくばかりである。

今回の箇所は、聖書の中でも、トップレベルと言える程に非道い内容が記されている。
なぜこのような事が、聖書に記されているのか。
それは、神の民といえども、御言葉から離れて好き勝手を続けるなら、ソドムよりも非道いモラル低下へと陥る可能性が、十分にあると、私達は決して忘れてはならないからだ。

執り成しの祈りが無い所に、御言葉の戒めが無い所には、救いは無く、それを続けるなら、神の民といえどソドム以下になってしまうのだ。
私達はこの個所から戒めを受け、いつも主を意識する事を怠らず、霊的に目を覚まし、アブラハムのようにこの時代を執り成して祈り、神の裁きからこの時代を救う者でありますように!

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