メッセージ - ベニヤミン族との決裂(士師記20:12-18)
礼拝説教メッセージ音声:ベニヤミン族との決裂(士師記20:12-18):右クリックで保存
『イスラエルのもろもろの部族は人々をあまねくベニヤミンの部族のうちにつかわして言わせた、「あなたがたのうちに起ったこの事は、なんたる悪事でしょうか。それで今ギベアにいるあの悪い人々をわたしなさい。われわれは彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去りましょう。』(士師記20:12-13)
全イスラエルは、かの邪悪な事をしたベニヤミンの者達に報復しようと共に集ったが、いきなり戦いを仕掛ける事はせず、まずは話し合いで解決しようと、使者を遣わした。
主にある兄弟姉妹が、何か罪を犯したという事であるなら、いきなり制裁を加えたり、除名したりするのではなく、まずは事実関係を正確に知り、二人また三人で忠告するべき事が主から命じられている。(マタイ18:17-20)
二人でも三人でも、主の名の元に集まるなら、そこには主がおられ、彼らが地上で心を合わせて祈るなら、それは天においても繋がれ、あるいは解かれたりするという権威を、主は、教会にお与えになった。
私達教会は、その偉大な権威を正しく行使しなくてはならない。
『イスラエルのもろもろの部族は人々をあまねくベニヤミンの部族のうちにつかわして言わせた、「あなたがたのうちに起ったこの事は、なんたる悪事でしょうか。それで今ギベアにいるあの悪い人々をわたしなさい。われわれは彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去りましょう」。しかしベニヤミンの人々はその兄弟であるイスラエルの人々の言葉を聞きいれなかった。
かえってベニヤミンの人々は町々からギベアに集まり、出てイスラエルの人々と戦おうとした。その日、町々から集まったベニヤミンの人々はつるぎを帯びている者二万六千人あり、ほかにギベアの住民で集まった精兵が七百人あった。このすべての民のうちに左ききの精兵が七百人あって、いずれも一本の毛すじをねらって石を投げても、はずれることがなかった。イスラエルの人々の集まった者はベニヤミンを除いて、つるぎを帯びている者四十万人あり、いずれも軍人であった。』(士師記20:12-17)
ベニヤミン族は、ソドム以下の蛮行に及んだ者が、自部族の中から出てしまったというのに、それを自分達の中から除き去ろうとはせず、かえって、彼等をかばう行動に出て、徹底抗戦の構えを見せた。
他のイスラエル全体を敵に回して戦うには、数としては圧倒的不利だというのに、それでも彼等は心頑なになってしまった。
もはや意地の張り合いになってしまったのかもしれないが、いずれにせよ彼らは、自分達はソドム以下の蛮行をする者であっても命がけで守り、彼らの行動に同意します、と、公に表明してしまったようなものだ。
主は侮られるようなお方ではない。その報いは、非常に高くついてしまう。
『イスラエルの人々は立ちあがってベテルにのぼり、神に尋ねた、「われわれのうち、いずれがさきにのぼって、ベニヤミンの人々と戦いましょうか」。主は言われた、「ユダがさきに」。』(士師記20:18)
ここに来て、イスラエル側は主に伺いを立てている。
主に伺う事は「良い事」であるのに変わりはないが、問題なのは、そのタイミングである。
彼らは、自分達が何をするかを既に決定してしまった後で、後付けのように主に伺いを立てており、自分達の意志のほうが主の御心よりも優先させてしまっている。
普段は主に伺う事をせず、自分で何もかも計画し、立案し、決定してから、取ってつけたかのように主に祈る人は多いが、そのような人は、やがて大失敗するものだ。
ヨシュアは、強敵エリコを攻略する前は、主の軍の将から必勝法を伝授してもらった。
その内容は、人の知恵では実に愚かに見えるものだったのに、それでも彼らが御言葉に従順したら、あっさりと勝利できた。
しかし、その後のアイの攻略の時は、主に伺う事をしなかった。
彼らはその時、決して戦ってはならない状態、すなわち、聖絶のものを抱え持った状態であるのに、それに気づかず、人間の見た目や判断に従って戦いに出て行ってしまったため、惨敗してしまった。
そこでヨシュアは、すぐに主に伺いを立てた所、自分達の中に聖絶のものがある事を示され、それを取り除いた時、再び勝利できる状態に戻った。
私達も、主に伺う事をせしないで、自分達の「良かれ」で進んでいってしまうと、災いをもたらしてしまう事になる。
この後、イスラエルは散々な目に遭う事になる。
しかしそれは、彼らが真に主に立ち返るための主の懲らしめであり、訓練なのだ。
主に打ち叩かれて強制的に修正されるのではなく、細書から主の御旨を求め、御言葉から外れて災いの道へと遠回りする事なく、安全に主の道を歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!